」と藤原はいった。
この時、ブリッジからコーターマスターが降りて来た。そしてボースンの室の入り口から怒鳴った。
「今から、ディープシーレット(深海測定器)を入れろッ」と、それから水夫室へ来てそのまん中で大声に「スタンバイ」と怒鳴った。
八
皆は、今日《きょう》昼中の労働がはげしかったので、夜は休みになるものだと考えていた。暴化《しけ》はややその勢いを静めはしたが、しかも、船首甲板などは一|浪《なみ》ごとに怒濤《どとう》が打ち上げて来た。そして、水火夫室の出入り口は、波の打ち上げるごとに、すばらしく水量の多い滝になって、上のデッキから落ちて来るので、一々その重い鉄の扉《とびら》を閉ざさねばならぬほどであった。それに、けさからのワシデッキとハッチの密閉とで水夫たちは、その着物の大部分をぬらしてしまった。(波田、三上のごときは、その全部を二重にぬらした、つまり一そろいの服を二度ぬらした。)それで、今、だれの仕事着も洗いすすがれて、汽罐場《きかんば》の手すりに、かわかされてあった。
水夫たちは起きるとすぐ、猿股《さるまた》一つでか、あるいは素裸でか、寝間着かで、汽罐場まで、仕事着をとりに行かねばならなかった。けれども裸で、その寒さに道中はならなかった。
波田は、自分の仕事着がまだ、今かわかされたばかりであるので、いくら汽罐場の上でもまだ生がわきであることを知っていた。従って彼は、猿股一つの上に合羽《かっぱ》を着て作業しようと[#「しようと」は筑摩版では「しよう」]決心でいた。ところが仕事着は小倉が彼に一つくれることにしようと申し込んだ。それで、彼は、油絵のカンバスのような、オーバーオールを一つ手に入れることができた。それにはペンキで未来派の絵のような模様が、ベタ一面にいろどられて、ゴワゴワしていた。
「それでも、ロンドンで買ったんだぜ」小倉はいった。
「舶来の乞食《こじき》が着てたんだろう。こいつあ具合がいいや」と彼はいった。
水夫たちは皆|各《おのおの》スタンバイした。そして、ともへと出かけた。
暗黒は海を横にも縦にも包んでいた。闇《やみ》は、その見えない力であらゆる物を縛り、締めつけ、引きずり、ころばしているように思えた。それはすべての物をまとめて引っくるみ、その中の部分をも締めつけた。風が波に打《ぶ》っつかり、マストに突き当たり、リギン
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