仕事の命令を発しようとすると、ストキはすぐに、チーフメートの机の上に、その要求条件を載せた。
「水夫一同は、その要求書どおり要求しますから、要求を容《い》れてください。そしてその要求書に判をおしてください。つまりそれが要求承認の意味になるのです」
 ボースンはそこへ凍りついた棒のように立っていた。
 チーフメーツは、暗礁《あんしょう》に乗り上げたよりももっともっと驚いた。
 それはありうることではなかった。暗礁はありうるが、水夫らが要求書を出すなんてことが! 彼は憤《おこ》ってしまった。
 「何だ、要求だ! どんな要求だ! 乗船停止の要求か!」チーフメーツは怒鳴った。
 ボースンは縮み上がった。彼は、私は知りませんと言いたかったが、――そこにストキが立っているではないか――ああ、困った。彼は字義どおり立ち往生した。
 ストキは平気だった、「初めやがった」と彼は思っていた。
 「そこに書かれてある通りの要求です。ご質問があればお答えいたします」
 ストキは「癪《しゃく》にさわる」ほど落ちついていた。
 「どんな要求でも今はいけない。横浜へ帰ってからだ!」チーフメーツは、事態が自分の考えてるように簡単でもなく、また予想どおりにも行かないだろうということをさとった。
 「私たちは、室蘭で片がつかなければ働かないだろうと思います。この要求はほとんど海事法に定められてある最小範囲から、きわめてわずか出ているか、いないくらいのものだし、その他の問題も普通の問題です。今ごろ要求するのは、われわれの迂愚《うぐ》であり、同時に万寿丸の恥辱でしょう。しかし、それは、われわれにとっては、全く切実な問題なのです。これは、あなた方にとって全く一顧の価値もない、軽易な問題でしょう。それがわれわれには重大な問題なのです。これをごらんの上承諾してくださるように希望します」
 ストキはまるで小学校の生徒が読まされる時のように、「まじめ」くさってそう言った。
 ボースンはもじもじしていた。逃げるにも逃げられないわけであった――
 「とにかく、おれには何とも返事ができない。船長が帰ってから、船長と相談して返答する。だが、ストキ、こんなこたあよした方がいいぜ、これはお前のためにおれは言うがなあ、もうお前も三十三なんだから、考えてもいい年じゃないか、これや全くよした方がいいぜ、船長がウンというはずがないと思
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