長でなきゃ考え出せねえ名案だぜ」西沢がガタガタ震えながらそれでも、早く降りたいばかりに、盲目《めくら》が杖《つえ》を振り回しでもするようにむやみに塗り立てた。
「やつあ、おいらが、マストにくっついて凍ったのが見たいんじゃなかろうかい? え、おれは、あいつの魂胆はてっきりそこだと思うよ」波田も震えていた。
「きまってらあね、金魚が凍りついたのよりゃ、よっぽど、人間がマストへ凍りついた方が珍しいからね」西沢が答えた。
大きなマストも、その高い部分では、随分揺れた。それは、その磨《みが》き澄ました日本刀のような寒風が揺するのだった。
「はたちやそこらでペンカンさげて、マストにのぼるも――親のばちかね」西沢は坑夫の唄《うた》をもじって、怒鳴った。
――シューシュ、どころか今日《きょう》このごろは、五銭のバットもすいかねるシュッシュー――と波田もうたった。
「何だ捨てられた小犬みてえな音を出してやがる」西沢が冷やかした。
「おめえのはペン罐をたたいてるようだよ」波田がやりかえした。そして彼は下を見た。
「オイ、まだ大分あるぜ、何とかうまい便法はねえかなあ」波田はこぼした。
「あるぜすてきにいいことが」西沢がいった。
「ヘッ! 下におりてストーブにあたるこったろう」
「もっといいんだ。マストのテッペンから海へ飛び込むんだ! そうすれや、どんな難病でも、いやな仕事でも一度に片がついてしまわあ」
「全くだ」
彼らはほとんど、無意識に、マストを、こすっていた。水の中で金魚が凍るように、彼らは、宙天の空気の中で凍りそうであった。
西沢と、波田とは、マストのペンキ塗りを「やりじまい」で命じられたのであった。「やりじまい」とは字のごとく、やってしまえば、その日の仕事のしまいということであった。つまり仕事を、請け負ってやることであった。
それは大抵都合の悪いことであった。なぜかならば、仕事を当てがう方では、普通の一日行程ではなし遂げ得ないで、しかも急いでいる仕事を「やりじまい」に出すのであった。すると、出された方では、尻尾《しっぽ》に紐《ひも》を縛りつけられた犬のように、むやみにグルグル回ったり、飛びはねたりして、その仕事から免れようと狂うように働くのだ。
「やりじまいだぞ、二時には済まあ」セコンドメートは、未熟の南瓜《とうなす》のような気味の悪い顔を妙にゆが
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