ボートと伝馬《てんま》とをおろして、練習していいという、本船初まって以来の計画と壮挙とが発表された。そこで、伝馬にはデッキ、カッターにはエンジンということに振り当てられた。
この計画が発表されると、同時に、ボースンと、今の大工、三上の三人は逸早《いちはや》く隠謀をたくらんでしまった。それは、伝馬を、どんどん漕《こ》いでって、上陸して直江津の女郎買いを「後学のため」にして、朝帰って来ようというのであった。そのためには、グズグズしてると不純な分子藤原のごとき、小倉、波田のごときが乗り込んで来ると、いけないというので、気脈相通ずる火夫長とナンブトー(ナンバーツーオイルマン)とを誘惑して、伝馬を占領してしまった。これは無邪気なおもしろい企てであった。この企ては必ず喝采《かっさい》を博すると、彼らは考えた。
直江津の町は、沖から見ると、砂浜から、松がところどころに上半身を表わしていて、街《まち》はほとんど、その姿を見せないようなところであった。それは、隠されるとなお見たくなるという人心をはげしく刺激した。おまけに、だれかが直江津へ一度来たことがあるのであった。
「ここの女郎は、皆亭主持ちなんだぜ! そして、みんな自分の家を持ってるんだぜ、自分の家へ連れていくんだぜ、素人《しろうと》みたいなのや、かと思うと芸妓《げいぎ》も及ばないようなのがいるんだぜ。そして、皆素人素人してるんだぜ。まるで自分の家へ帰ったようなものだぜ。日本一だ! 全くここの女郎買いを知らないやつは船のりたあいえないくらいなんだぜ」それは、恐ろしく皆の者を興奮させた。有夫の女郎、素人の女郎! 人に飢えた船のりはもう有頂天にされてしまったのであった。それはまるで錦絵《にしきえ》の情緒じゃないか。
それは、全くおそろしいほど、彼らの好奇心をそそった。素人の娼婦《しょうふ》! 一軒を持っている娼婦! それは全く独特のものであった。
この興奮剤は、恐ろしい偉力を現わした。伝馬は直ちにおろされた。
彼らは大騒ぎをしておろした。それは難なく、海面へおりた。そして、三上は、実際直江津の漁夫を笑うかのように、楽々とおもてへ漕《こ》ぎ寄せた。ボースン、ナンバン、ナンブトー、大工、という順序にロープを伝って乗り込んだ。
櫓《ろ》が二|挺《ちょう》立てられた。三上と大工とがそれを押した。
波の山、波の谷を、見えつ隠れ
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