するね」彼は大口をあいて笑った。空気まで寂しさに凍りついたような、静けさを破って、声は通りへ響いた。
「波田君、どうだい、そんなにいけるかい」藤原は立ちながらきいた。
「もういいよ。でも食えば食えないことは無論ないけれどもね。財政が許さないさ。ハハハハ」と笑った。
四人はおもてへ出た。西沢は「ひやかして、一杯ひっかけてくる」と言って坂を遊郭の方へ上がって行った。三人はそろって、どこか、そこが外国の町ででもあるような感じを抱《いだ》きながら、馬蹄形《ばていがた》にその船へ向かった。
ボーイ長は波田から菓子のみやげをもらって喜んだ。
三人は、紅茶のおかげで眠られぬままに、ボーイ長のそばで、ストーブに石炭をほうり込みながら、前のボースンが、直江津《なおえつ》でほうり上げられた悲惨な話を、思い起こしては語り合った。
三四
それは、ここに今書くべきことではないかもしれない。けれども、それは書いた方が都合がいい。船長とは一体何だ? それの答えの一部にはなるだろう。
それは夏の終わり、秋の初めであった。時々暑い日があって、また、時々涼しすぎる夜があるような時であった。万寿丸は同じく吉竹《よしたけ》船長――これはやっぱりこの船のブリッジへ錆《さ》びついたねじ釘《くぎ》以外ではなかった――によって、搾《しぼ》ることを監督されていた。そして小樽《おたる》から、直江津へ石炭を運んだ時の、出来事であった。
本船が秋田の酒田港《さかたこう》沖へかかった、午後の一時ごろであった。まるでだし抜けに滝にでも打《ぶ》っつかったか、氷嚢《ひょうのう》でも打《ぶ》ち破ったかと思われるような狂的な夕立にあった。その時、船首甲板には天幕《ウォーニン》が張ってあった。それが、その風にあおられて、今にも、デッキごとさらって行きそうにブリッジから見えた。船長はすっかりあわてた。そして、あれをすぐ取れと、命じた。その時、夕立前の暑さで、おもては皆裸で昼食後の眠りをとっていた。そこへ、コーターマスターが駆け込んで「ウォーニン」をとれと伝えた。
波田、三上、藤原、西沢らは元気盛りではあるし、船長をそれほど「怖《おそ》」れてはいなかったので、猿股《さるまた》一つで飛び出した。仙台と波田とは全裸で、飛び出した。それは風呂《ふろ》のない船においてのいい行水《ぎょうずい》であった。だが、風が猛烈
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