とになった。金は五人の水夫と、四人の舵取りと、一人《ひとり》の大工とで二円ずつ出せば、二十円あるから、それで、もし必要ならば入院させて、「とも」で入費を持たないというようなことであったら、おもてで持とう。その代わり、とものやつらは覚悟をするがいいや、というようなことになった。
 安井は、そのきたない、暗い、寒い寝箱の中で、その傷の疼痛《とうつう》のために、時々顔をしかめながら、一生懸命にことの成り行きを聞いていた。そして、藤原のそれほどの努力にもかかわらず、また、明日に延びたと聞いて、彼は心持ち持ち上げていた、その頭をまたぐったりと落としてしまった。今夜は病院へ行けるという、彼にとっては唯一の歓《よろこ》びが消えてしまったのであった。彼は、今までと「同じ」一夜をまた、この船室で苦しみ通さなければならないということに、まっ黒い絶望を感じたのであった。
 しかし、何ともならなかった、事情は彼も聞いていた通りであった、「とも」の人間にとっては、彼は、その生命でも一顧の価値なきものだということが、念入りに繰りかえされて聞かされたに過ぎないのであった。そして、彼は、自分の生命がほとんど、生まれ落ちてから、一顧の価値だもなく、それはちょうど産みつけられた蛆《うじ》が大きくなるように、大きくなったのである。いつでも、彼の生きていることは、ほかのだれかの生きていることと、そのパンの分配の時に、おそろしく窮屈な思いをしなかったことのなかった、彼の全生涯――わずか[#「わずか」は底本では「わずが」と誤記]十八年ではあるが、その中の確かに十四、五年を占める――を、その傷の疼痛と共に、彼に手きびしく思い知らせた。
 「いっそ、産まれなければよかった」と思われるほど、あるいは事実において、その人間を餓死か、自殺かに導くような、「いっそ、死んでしまった方がましだ」と痛切に感ぜざるを得ないような状態が、なぜ存在するのか? そして、それは永久に存在しなければならないものか?
 一方には「腹がすかない」という「病気」のために、薬を飲む階級があり、一方には「飯が食えない」という「健康」のために死ぬ階級があるということは、地球が円《まる》くできてることと同様に、何ともしようのないことであるか? それは時が、種を植えており、その種が生《は》えており、すでに実っているところもあるのだ。だが、傍路《わきみち》
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