れは寂しい情景であった。船員たちにとっては、彼らの手に負えない夢幻的な情緒であった。従って水夫たちにとっては、それは本能的な、肉欲的な、一対照より以外ではなかった。
 彼は、今夜も、そこへ行くために、汽車の時間表とにらめっこをしながら、したくを急いでいた。
 船長が、そのダイアモンドのピンを、ネクタイに「優雅」にさそうとしている時に、純白の服を着けたボーイは船長室の扉《とびら》をたたいた。
 「何だ?」船長は怒鳴った。
 「ボースンとストキとが、お目にかかりたいといって、サロンで待っております」
 「用事だったらチーフメーツへ話せ、といえ」彼はピンの格好について、研究を続けた。ボーイはサロンに待っていた、ボースンとストキに、その由を伝えた。
 「それじゃ」と、ボースンは、それをいいしおに、ストキにいいかけた時であった。
 「どうしても、会わなきゃならないんだ! ぜひ、会いたいって、も一度取り次いでくれたまえ」ストキは、ボースンをおさえてボーイにいった。
 ボーイは「何だい一体」とストキにきいた。
 「ナアに、ちょっと会って話せばいいことなんだよ」気軽に藤原は答えた。
 「奴《やっこ》さん、登別に行くんで、急いでるんだよ」
 「ところが、こっちはもっと急ぎの用事なんだ、ちょっと頼む」
 ボーイは再び船長室の扉をたたいた。
 「ぜひお目にかかりたいといっています」
 「だめだ! 時間がないんだ!」船長は鏡の中の自分に見入っていたが、チェッと舌打ちをした。
 「うるさいやつらだ、用事は何だときいて見ろ」ばか野郎めらが、と、彼は考えの中でつけ足した。――手前《てめえ》たち全体の運命は横浜までだ。代わりのボースンはもう横浜まで来てるんだのに、ばか野郎らが――船長は蛆虫《うじむし》どもの低能さに対して、ちょっと冷やかしてやってもいい、という気を起こしたほどであった。
 「ボーイ長の負傷の手当てをするために、室蘭公立病院へやっていただきたい、というのだそうでございます」
 「ボーイ長! そんなものはだめだ、と、そういっとけ」何だ一体ボーイ長の負傷とは、ばかな。そんなものは船の費用から出せるかい。べら棒な。冗談も休み休み、機《おり》を見ていうがいいんだ。時もあろうに、自分らの首の運命の決していようという時に。それに今は上陸間ぎわじゃないか、ゴロツキどもめが! 船長は、ボーイ長が負傷
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