罵倒《ばとう》し、そして恥ずかしい目にからかった。
 彼女は、それでも一緒になって、キャッキャッとはしゃぎながら、自分の商売の菓子箱のくつがえるのも忘れて、抵抗したりふざけたりするのだった。
 彼らは、薄暗いデッキの上を、小犬のようにころがり回ってふざけていた。
 彼女が菓子のほかに、彼女の肉をも売るということを、波田は耳にしたことがあったが、それは想像するだけでも不可能のように思えた。彼女は女性として男性に持たせうる、どんな魅力もないように見えた。きたない男よりも醜い彼女であった。
 だのに、彼女は、やはり、うわさのように菓子以外のものも、提供することがズッとあとになって波田にもわかった。それはボースンの部屋《へや》であった。
 これは、蜘蛛《くも》と蜘蛛とが、一つの瓶《びん》の中で互いに食い殺し合うのによく似てはいないだろうか。
 だが、その日は、それらのことは一切起こらなかった。彼女の菓子は、食事の済んだ水夫らによって一つ二つ摘ままれた。
 ボースンと大工とは、彼女を、波田の寝箱の中へ押し倒すことだけは、形式的に忘れなかった。波田の寝箱の隣では、負傷のために、弱り、やせたボーイ長が、まだうめいているのであった。
 波田は、ボーイ長に、朝鮮|飴《あめ》を二本買ってやった。ボーイ長は涙を流して喜んだ。
 疾病や負傷や死までが、生活に疲れ、苦痛になれた人たちにとっては軽視されるものだ。生活に疲れた人々は、その健全な状態においてさえ、疾病や負傷の時とあまり違わない苦痛にみたされているのだ。人間がそれほどであることは何のためか、だれのためか、なぜそれほどに人間は苦しまねばならないのか、それはここで論ずべきことじゃない。
 おもしろいことは、この沖売ろうの娘は、おもてのコックと後になって、――四年もこれの書かれた後――二週間だけ一緒になって世帯を持った。二週間の後彼女はコックのために酌婦に売り飛ばされて、夕張《ゆうばり》炭田に行き、コックは世帯道具を売って、ある寡婦《やもめ》の家へ入り婿となって、彼自身沖売ろうになり、日用品や、菓子などを舟に積んで、本船へ持って来るようになったことだ、が、これはズッと後の事だ。
 水夫たちの食事が終わると、ボースンは、チーフメーツのところへ仕事の順序をききに行った。
 チーフメーツは、クレインが来るから、それまでのあいだに、ボイラーの方を
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