、小倉を取っつかまえた。
「どうしたんだい。心配したぜ、昨夜は、流されやしなかったかって。そして伝馬はどうしたんだ、やっぱりやられたのかい」
船に残った者は、なるほど一切の事情を知らないはずであった。そして、サンパン止《ど》めくらいの荒れた夜中のことだから、伝馬をやられたために、夜帰れなかったんだと、船員たちは勝手に想像して気をもんでいたのだった。「伝馬は、船長を上陸させて置いて帰りに、橋をくぐる時に、打《ぶ》っつけて、こわれた――それほど古くも弱ってもいないんだが――といえば、船員たちには、どうにかこうにか、三上が帰って来ないで、サンパンの船頭がしゃべらない限りわかりはしないんだが、さてそれでは三上はどこへ行ったということになるし、何も隠し立てする必要もないから、すっかりぶちまけた方がいいだろう。それで悪かったら、またその時のことだ」と、小倉はとっさの間に考えた。
「ナアに、やられやしないんだよ。妙なことになっちまって困ったんだよ」小倉はほんとに、今そのことについて、口を切って「実際これはおれの考えてるように簡単に片のつく問題じゃない、全く困ったことだ」ということを痛切に感じた。
「どうしたんだ。一体、そして三上は?」
「三上が伝馬で、けさ帰って来てるはずなんだよ」小倉は、三上が伝馬を売り飛ばすか質に入れるかするといった、その、とても実現できそうもない、彼の計画だけはいうまいと決心した。
「冗談いっちゃいけない。だれも帰って来やしないぜ」
「それじゃ、おもてでよく、すっかりその事情をくわしく話そう。ちょっと困ったことが起こったんだ。船長と三上とがけんかしたんだ。それを、今おもてで話そう。皆いるかなあ」小倉はこういいながら、もうおもてへのタラップを降りて、駆けて行った。
おもてでは、ボースンから、大工、水夫たち、全部が、いつでも入港のできるように、準備を整えて、船長の帰るのを待っていた。それよりももっと、三上と小倉との消息について待ち切っていた。
「どうも済まなかった。ただいま」と叫びながら小倉はそこへ駆け込んで来た。
「どうしたい三上は」
「さては女郎買いをしやがったな」
「伝馬で帰ったのかい」
「うまくやってやがらあ」
各人が考え、想像していたことの最初の言葉が、彼のまわりに、桟橋から船に落ちる石炭のように轟然《ごうぜん》と、同時に飛
前へ
次へ
全173ページ中70ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
葉山 嘉樹 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング