ぬれの靴を脱ぎ、その着物をかわかしうることになった。二十七、八になる女中がすぐに火鉢《ひばち》へ火を入れて持って来た。
 「どうしたの、ちょいと、今ごろ、今入港したの! そうじゃない? まあ! 随分ぬれててね。若いからよ、ホホホホ。脱いでかわかしなさいな。ね、私、着物を持って来て上げるわ、泊まってくんでしょう。もちろんだわね。ホホホホホホ」
 彼女は全くの親切からのようにそういった。そして、下へ降りて行った。どてらでも持って来るのらしかった。
 三上はもちろん喜んだ。そして彼はもちろん泊まる気でいた。小倉も一人《ひとり》で帰るわけには行かなかった。それに彼は三上の今夜の事件を、どういうふうに処置をつけるか、考えねばならなかった。――船長は明朝になったら、三上を懲戒下船命令を発して、一年間あるいは三年間ぐらいは乗船不可能にしてしまうだろう。それだけでなく、それだけで済めばいいが、事によると、恐喝《きょうかつ》取財ぐらいで告訴するだろう。これらについても自分としては何とか考えをまとめて置かなければならない。それにとにかく、こんなにズブぬれのガツガツの飢えではしようがない。そこで、二人は腹をこしらえることを考えた。
 「ねえさん、おそくなって済まないがね、もしできたらすきやきがやりたいんだがね。寒いんだから、すきやきでないととても暖まらないからね」と小倉は注文した。
 「ええ、できるわ、きっと、あなたの事だから。ホホホホホ、お銚子《ちょうし》は?」と立ちながら、彼女は聞いた。
 「酒を持って来るんだ」三上が受けた。
 「ホホホホホ、一切合財皆もちろん、――だわね」と唄《うた》にしながら、下へ注文を通しにおりて行った。
 二人は、どてらに着換えて、その着てたもの全部を、柱にかけた。
 彼らは人が恋しかった。ことに女が恋しかった。どんな動機からであろうとも、彼らに優しい言葉をかけてくれる女性は、この地上に、もし生きていればその母か姉妹だけであった。
 けれども、彼らは、それらをまるで失ってしまっていたか、まるで知らなかったか、または、それをはるかに遠くへ残して来ているのであった。
 優しい女性! それは、彼らには、何物よりも貴《たっと》い宝玉であった。一切の歴史から虐《しいた》げられて来た、哀れなか弱い女性! 彼らが反抗する必要のない、彼らによってまでも愛護されなければならな
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