「それは、まだ君が、『遺言の積り』であつて、『真実の遺言』で無いからだ、と、真実の遺言を書かせちまはなければ、プロレタリア文学はならないだらうか?」
 まだしも、「それはルンペンだ」とか、「それは右翼的偏向だ」とか、何だかだといはれてる方が、楽な気持であらう。
     *
 Nは、それから、一ヶ月許り姿を見せなかつた。私は、非常に心配した。で、絶えず、空家の二階から、おとし穴のやうなNの借間を訪問した。Nは、党支部の仕事でゐない事が、間々あつた。
「遺言文学なんて出たら目を、気にかけないでゐてくれるやうに」と、私は願つてゐた。だが遺言よりもいゝものを書いて、苦しんでゐる、プロレタリア農民を、鼓舞し、慰め、立ち上らせてくれるやうな、素晴らしいものを、創り上げてくれるやうに、とも願つてゐた。
     *
 それから、一ヶ月の後に、私たちの、プロレタリア作家クラブで、朗読会をやつた。その時は、各々自作の作品を朗読するのであるが二つの素晴らしい作品が、朗読された。その一つは、私の心配してゐた、Nのものであつた。Nの小説が、中途までくると、私は、仰向けに寝転がつて、溢れる涙をそうつと、たもとでふいた。が、ふいてもふいても、ふき切れない程の、涙が、腹の底から沸きだした。
 Nが読み終つた時、長い、深い、沈黙があるだけだつた。咳もしなかつた。
 暫くして、同志Sが、やうやく口を切つた。
「あゝ、またおれは追ひ抜かれた!」
「素、素、素晴らしい!」
 と、叫んだ。私の声は、まるで私の子供のと、すつかり同じ泣き声だつた。
     *
 この小説は、外の、捨て身な作品と共に、私たちの生活を、文字通りに食ひ込む雑誌の創刊号に発表される。
 私たちは、困難な時代に生きてゐる。そして、プロレタリア文学の道は、全く、困難な道を行き悩んでゐる。だが、私たちは、「捨て身」で、「遺言」の積りで、プロレタリア文学の道を守つて行かうと思つてゐる。



底本:「日本の名随筆 別巻17 遺言」作品社
   1992(平成4)年7月25日第1刷発行
底本の親本:「葉山嘉樹全集 第五巻」筑摩書房
   1976(昭和51)年2月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:渡邉つよし
校正:もりみつじゅんじ
2000年11月6日公開
2006年
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