にガン張つてゐた。
そのうちに、同志のSやIなどが、「あつさりやめた。心配するな。帰つたらゆつくり話す」といふ、簡単極まるハガキを、私の旅先きに寄越した。Sは、私たちのグループの中で、文学的にもであるが、生活的に、全身的に、階級闘争に、もつともピッタリくつついてゐる男である。Iも、文学的に野心が多く、闘争の中にすつかりはまり込んだ、といつた風な男である。
*
私は、文学の上では、兎も角、運動の上では、他の人たちを捨てても、Sたちと行動を共にしなければならないと思つた。
で、私は、田舎から慌てて帰つて来た。
そして、別れなくていゝものなら、別れないやうにしようと、いろいろ、骨を折つて見た。
が、後で、いろいろ、理論めいて、えらさうな事はいへようが、そんな名目論や、ゴマ化しで無いものが、底の方に流れてゐる、といふ事が、二三日して、ぼんやり私にも分つて来た。
空家に籠つてこの一念(中)
Sや、Nを、文学的ルンペンなどと、たつた一ヶ月前まで位、一緒にやつて来た者で、ぬけ/\といふ奴もあるが、そんなのは、いつでも、私が、面の皮をヒン剥いてやる。ペンや、口でなら、何とでもいへる。
今まで、我々と分れて、えらさうな口を利いて、消えて無くなつた者が、どの位あるかを考へた方がよからう。そこで、その深い、底の方を流れてゐるものは、「何」であるか、といふ事を、私は探求しにかゝつた。そして、それが、ひどく文字には現し難い気持ちではあるが、「捨て身」なもの、であるといふことが分つた。
「Sは、捨て身でやつてゐないだらうか?」「いや、やつてる!」
と私は考へた。
そこで、私は、この「捨て身」で階級闘争の中に入つてゐる、同志と別れることは、出来ないと考へた。
さういふ訳で、いくらか、余裕を持つて、やらうといふ者と私も別れてしまつた。
*
それから、私たちは、残つた連中にいはせると、「組織もヘチマも無い居心地のいゝ『クラブ』に尻を落ちつけたのである」
私たちの「挨拶状の本質は、隅から隅までのルンペン的、芸術至上主義的偏向をバクロした」
よろしい。いくらでも、張りよい、小型のビラを、僕等の背中に張りつけるがよい。
今東光を、藤森成吉を、片岡鉄兵を、中条百合子を、信用しようとも、しもしなかつた私たちである。
私自身についていへば、諸君のいふ
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