セメント樽の中の手紙
葉山嘉樹

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)蔽《おお》われていた。

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(例)[#地から1字上げ](大正十五年一月)
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 松戸与三はセメントあけをやっていた。外の部分は大して目立たなかったけれど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に蔽《おお》われていた。彼は鼻の穴に指を突っ込んで、鉄筋コンクリートのように、鼻毛をしゃちこばらせている、コンクリートを除《と》りたかったのだが一分間に十才ずつ吐き出す、コンクリートミキサーに、間に合わせるためには、とても指を鼻の穴に持って行く間はなかった。
 彼は鼻の穴を気にしながら遂々《とうとう》十一時間、――その間に昼飯と三時休みと二度だけ休みがあったんだが、昼の時は腹の空《す》いてる為めに、も一つはミキサーを掃除していて暇がなかったため、遂々《とうとう》鼻にまで手が届かなかった――の間、鼻を掃除しなかった。彼の鼻は石膏《せっこう》細工の鼻のように硬化したようだった。
 彼が仕舞《しまい》時分に、ヘトヘトになった手で移した、セメントの樽《たる》から小さな木の箱が出た。
「何だろう?」と彼はちょっと不審に思ったが、そんなものに構って居られなかった。彼はシャヴルで、セメン桝《ます》にセメントを量《はか》り込んだ。そして桝《ます》から舟へセメントを空けると又すぐその樽を空けにかかった。
「だが待てよ。セメント樽から箱が出るって法はねえぞ」
 彼は小箱を拾って、腹かけの丼《どんぶり》の中へ投《ほう》り込んだ。箱は軽かった。
「軽い処を見ると、金も入っていねえようだな」
 彼は、考える間もなく次の樽を空け、次の桝を量らねばならなかった。
 ミキサーはやがて空廻《からまわ》りを始めた。コンクリがすんで終業時間になった。
 彼は、ミキサーに引いてあるゴムホースの水で、一《ひ》と先《ま》ず顔や手を洗った。そして弁当箱を首に巻きつけて、一杯飲んで食うことを専門に考えながら、彼の長屋へ帰って行った。発電所は八分通り出来上っていた。夕暗に聳《そび》える恵那山《えなさん》は真っ白に雪を被《かぶ》っていた。汗ばんだ体は、急に凍《こご》えるように冷たさを感じ始めた。彼の通る足下《あしもと》では木曾川の水が白く泡《あわ》を噛《か》んで、吠《ほ》えていた。

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