しつ》の心臓病が起って危篤に陥った。報知《しらせ》によって倫敦《ロンドン》から娘が看護に来た。娘はA老人の先妻の子で、現在のA夫人は数年前から倫敦《ロンドン》へ別居している。A老人の容態は日一日と不良《わる》くなっていった。娘は父親にいえば不興《ふきょう》を蒙《こうむ》るのを知っていたが、病気の経過が思わしくないので、思い余って密《ひそか》にA夫人に手紙を出したのであった。するとA老人が逝去《なくな》った前夜、A夫人から電報が来て、九時に停車場《ステーション》に着くから迎えに来てくれと記《しる》してあった。娘は密に旅館を抜出して停車場へゆくと、彼等の罠にかゝって場末にあるリケットの仲間の家に監禁された。リケットの情婦グヰンが娘に生写《いきうつ》しであるを種に、A夫人は娘のスエーターを剥取ってグヰンに着せ、真《ほん》ものゝA嬢と見せかけて、大胆に海浜旅館へ乗込んだのである。
 A老人の直接の死因は心臓麻痺であった。然し前日の医師の診断では、そう急激に変化が来るとは何人《なんぴと》も信じなかった。何か特別に精神的激動を受けたものかも知れないと、係りの医師は頻《しき》りに首を傾けていた。尤《もっと》も病人は高齢の事であり、且《か》つ衰弱が甚だしかったから、故意に枕元の窓をあけて、寒冷な夜気を吸込ませておいても、非常な影響であるという事であった。
 A夫人は係官の訊問に答えて、
「私は甥のリケットと、死んだグヰンとを一緒にする事に反対はしなかったが、良夫《おっと》は何故かグヰンを酷《ひど》く嫌っていて、そんな女と結婚するなら鐚一文《びたいちもん》もやらぬ、といっておりました。グヰンの方が余計にリケットを愛していつも附纏《つきまと》っていたので、近頃は甥も少しく鼻についていたらしかったのです。前の晩、私共は看護|疲労《づか》れで夜中の一時過ぎに臥《やす》みました。それから一二時間もしてフト気がつくと、良夫とグヰンが何事か声高にいい争っているのを耳にしましたが、余りに疲労《つか》れていたので、起きてゆく精もなく、其《その》まゝ睡《ねむ》って了《しま》ったのです。」と意味あり気にいった。
 死人に口なしでグヰンの死は一切謎であった。然しながら老人が死ねば、財産は当然A嬢の手に移る事になっている。それ故《ゆえ》真《ほん》ものゝA嬢を監禁して、其間に容貌の酷似したグヰンを身替りにして
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