く見ることはないよ。これでも相当な懸賞はついているつもりなんだからね」
「まあ! 懸賞? 失礼しちゃうわね。懸賞というのは、二、三枚の着物を買ってくだすって、六カ月定期のお内儀《かみ》さんにしておくということでしょう」
「冗談じゃあない、いつまでそんな馬鹿《ばか》をしていられるものじゃあない。わたしは本気で言っているんだよ。娘のみのりも不思議にきみに懐いているんだから、あの子もきみのような保護者ができればどんなに幸福かしれない」
「それとこれは別問題よ。……ああ、わたし、お店へ出なくてはいけないわ」
波瑠子が先になって廊下へ出ると、男は、
「波瑠ちゃん、そんな強いことを言って男に恥をかかせるものじゃあない。もう一度考え直してみておくれ。きみだっていつまで女給をしているわけでもなかろうから、そのほうがきみのためじゃあないかね」
と冗談らしく後ろから波瑠子の肩を抱えた。
それまでぶりぶりしていた波瑠子は急に何か思いついたらしく、がらりと態度を変えた。
「でもわたし、いつもみんなに立派な口を利いているんですから、つまらない噂《うわさ》なんか立てられたくないのよ」
「そこは如才なくやるさ」
「では、どこかへ行くの? 蒲田の水明館?」
波瑠子は肩を揺すって笑いながら言った。
「さすがに知っているね」
「だって、お店に来るお客さんたちがよく誘いますもの。耳にたこ[#「たこ」に傍点]ができるほど聞いていますわ」
二人はその晩の十一時半に、水明館の横手で落ち合う約束をした。
波瑠子は店へは顔を出さずに、非常口から裏梯子《うらばしご》を伝ってみのりを捜しに行ったが、少女が部屋に見えなかったので、小楊枝《こようじ》の先で障子に点字を書き残してふたたび店へ戻った。彼女は朋輩《ほうばい》の信子に、
「わたし十分ばかりお店を空けるから、旦那が聞いたらなんとか要領よくやっておいてちょうだいね。それからここに書いてあることは明日《あした》でいいのよ。頼まれてちょうだいね」
と最前の手紙を渡して、暗くなった往来へ消えてしまった。
それから一時間ほどして、波瑠子は丸ビルの明治側の街路樹の陰に立っていた。そこへ外套《がいとう》の襟を立てた洋装の女が足早に歩いてきた。
「待って?」
「ええ、十分ばかり。でも、わりあいに早く来られたわね」
「電話を聞いてすぐ飛んできたのよ。で、波瑠ちゃん、
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