と悪い人かもしれないわ。……ああ、みのりさん、あなたにお頼みがあるのよ。わたしの大切な大切なものを、だれにも知らせずにそっと預かっていてくださらない?」
みのりは大きく頷《うなず》いた。
その時、広間のほうでだれかが波瑠子を捜している声がした。
「みのりさん、ではあとでね。あなたはもうこんなところにいないで、早く下へいらっしゃい」
波瑠子はカーテンの外へ出ていった。みのりは耳を傾けて遠ざかっていく足音を聞いたのち、自分は音も立てずに暗い梯子の下に消えてしまった。
広間へ戻った波瑠子は、棕櫚竹《しゅろちく》の鉢植えの陰になっているテーブルのほうへ行った。そこには頬骨《ほおぼね》の張った血色の悪い、三十前後の背広を着た男がいた。
「まあ立っていないで、ここへおかけ。ぼくはきみに悪意なんぞを持っているんじゃあないよ。悪意どころか、ぼくは五年振りにきみを捜し当てて、まだ神さまに見捨てられなかったことをしみじみ感謝しているくらいなんだ」
と、男は言った。
「この広い東京であなたに見つかるなんて、本当に運ですわね。けれどもわたしはあなたと結婚したわけではなし……そりゃ子供のときにどんな約束をしたかしれませんが、五年もこうして隠れていたんですもの、あなたもそれだけで分かってくだすってもよくはない?」
波瑠子は冷ややかに言った。
「子供のとき? それはいけない。親父《おやじ》の大切な宝石を盗んで逃げ、汽船では身投げした女になり済まして、横山《よこやま》ハル子《こ》は死んだことに作ったりした手際は、子供の知恵とは言われないからね」
「あなたはあのダイヤモンドを狙《ねら》っているのね。けれどもあのダイヤモンドだって、曰《いわ》くつきの代物よ。張《ちょう》さんのものをあなたのお父さんが……」
「しっ! あなたは何を言っているんだ。張は取引を済ましたあとで勝手に酒を飲み歩いて、追剥《おいは》ぎに殺されたのじゃあないか。滅多なことを言ってもらっては困る」
男は恐ろしい目で辺りを見回した。
パーラーにはまだ客はいなかった。正面の壁から階段の上まで、ずらりと並んだエジプト模様の壁画の目が一斉にこっちを向いていた。
「……それはわたしが言い過ぎたかもしれませんわ。けれども、あれはあなたのお父さんがわたしから奪い取った貞操の代償として、わたしが所有する権利があるのよ。本当のことを言え
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