透してどんよりと暗くなってゆく陰気な街の空を眺めていた。
そこへ飄然と、柏《かしわ》という友人が訪ねてきた。
「いいところへ来たよ。お祝いをやろうと思っていたんだ」
「お祝いとは豪気だな」柏はミシミシと壊れかかった藤椅子へ腰を下すと、絵具の附着《つ》いた指先で無雑作に卓上の煙草を抜出して口へ持っていった。
「いよいよ破産なんだ。親が僕に遺していった金は基督降誕祭《クリスマスこうたんさい》前に銀行から引出したやつで全部だが、昨日までに消費《つかい》果して、見給え、ここに百円残っているきりだ。これが無くなると、厭でも日頃の君の忠告に従わなければならない」
「そう来なくてはならない。それで君も一人前の男になる訳だ。百円あれば当分暮せる。その間に適当な職業を探すのだな。働くという事はいい事だ。フン」と柏はいった。この男だってズボラにかけては退けをとらない方で、日頃私が充分な時間を持っているのを羨しがっていたから、御同様働く仲間が出来たのを喜んだのに違いない。
「いい事か、悪い事か知らんが、僕は計画があるんだ。詮《つま》りね、この端金を一晩でビールの泡にしてしまうというんだ。遊民生活の過去と華々しい訣別式を挙げるのさ。さアこれから一緒に出掛けよう」
「成程、君らしくって面白い、思いきりがいいや」柏は高笑いをしながらいった。
柏は猶太《ユダヤ》人経営の某美術商に雇われている画家で、僅か二三年の知合であるが、磊落不覊《らいらくふき》のうちにも、情に厚いところがあって、私とは隔てのない間柄であった。
二人は数分のうちに肩を並べて下宿を出た。百円の処分方法に就て、あれこれと意見が出たが、結局穏かにサボイ旅館で晩餐を摂る事にした。
食堂は殆んど満員で、空いた卓子は数える程しかなかった。妖艶な臙脂《べに》色の夜会服を纏ったスペイン人らしい若い女や、朱鷺《とき》色の軽羅《うすもの》をしなやか[#「しなやか」に傍点]に肩にかけている娘、その他黄紅紫白とりどりに目の覚めるような鮮な夜会服を着た美しい女達が、どの卓子にも見えていた。男達は大抵、燕尾服か、タキシードを着けている。背広服をきているのは私共の他に多くは見掛けなかったので、いくらか面羞《おもはゆ》い心持であったが、柏は一向平気で、四辺を見廻しながら、チビリチビリ葡萄酒をやっていた。
その中彼は何を見付けたのか、急に眼を輝して、
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