一つのエチケット
松濤明

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)何方《どちら》から

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ]
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 七月、谷川に行った帰りだった。ちょうど集会の夜だったので、私は例のようにもう、とぐろを巻いて怪弁を振るっているであろう仲間たちの顔を思いうかべながら、地下鉄にゆられていた――とつぜん、背後から声をかけられた私は振り返った。そこに立っていたのは一人の青年だった。がっちりと、背の高い、面もなかなかの男振りで、軽い着流し姿は涼みがてらに夜店を冷やかしての帰りであろうか。彼はにこやかに話しかけてきた。
「どちらに行っておいででした?」
 登山姿の私にどちらと訊くからには、山の名を訊いているのだろうが、どういう相手か判らないので私はなるべく注釈の要らぬ答え方をした。
「上越です」
「谷川ですか」
「そうです」
 これで少なくとも彼自身山へ登る男だなと判った。この体格で登山姿になったらさぞかし立派なことだろう。何か名のあるクライマーであろうと、私は返答の心構えを改めた。うかつな返事はできないと思っ
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