ど、皆こうした病的趣味に根を発しているのではなかろうか。
嶮しいところを登るのが悪いと私は言っているのではない。より困難なルートを登れるものなら、どんな困難なルートでも登ってくれ。だがそのルートの終りには必ず頂きがあり、ルートとして独自に評価されるものでなく、その頂きのより魅力的な道程であることを忘れないでくれ。
一つの頂きに目標を設定する、その頂きを所望のルートから登るに好都合な根拠地を求める。そしてその根拠地を出発して、途中の困難を一つ一つ克服しながら、なんとかして目標に達しようと努力する。健全なスポーツとしてならば、われわれは登山の形式を備えたその一連の努力全体を愛すべきではなかろうか。一つの登頂を成し遂げる、たとえ貧しい登頂でも、それを完全に果たす――一つのものを完成するか、失敗として中途で放棄するかに精魂を傾ける悦びは、悪場そのものに陶酔する種類の悦びとは自ら異なる。描くことの悦びではなく、描き上げることの悦びである。感覚的な悦びでなく理念的な悦びである。
踏みならされた登山道を、十年一日のごとく頂きへ通うピークハンティングはわれわれの採るところではない。自己のオリジナ
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