処に居ても吉原は知らぬといへど誠とせず。そなたの生れはと問へば、越後でござりまする、朋輩《ほうばい》の何がしは三年のつとめ済んで、身のしろ金で嫁入りしたさうな、うらやましやといふ。媚《こ》びるにもあらず、ふるにもあらぬ質朴の田舎かたぎ、おとなしきが気に入つて、財布の底を払ひたるもをかしく、帰りがけに名を聞きしがそれも忘れける。鯖名といふ温泉にて雨にふられ、旅のうさ今更覚えけるを、廓ありと聞きて、宿屋の庭下駄に知らぬ闇路《やみじ》踏んで、凌霄《のうぜんかずら》咲く門に這入りける。翌朝、宿へ帰ればここの小もの笑ふて、ゆうべ旦那の買はれしは、やつがれと同じ国の生れなりといふ。狭い処では一夜のうちに何も彼も知れぬはなし。浜松にて束《つか》の間《ま》の逢瀬《おうせ》、何処やらに惚《ほ》れこみ、志を少し紙にひねつて、彼にも知らさずその袖に投げこんだを、あとで何と言ひしやら聞きたし。大垣の宿屋、家は小さけれど間は奇麗なり。女の色白き事ここの名物なるべし。膳はこぶ小女郎、あたら惜しきものに思へどせんなし。京にても宿屋の下女、さすがになまめきて、三日のなじみ、さはらば落つべかりしが、それもここにては掃き
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