る電信の柱ばかりはついついと真直に上り行けばあの柱までと心ばかりは急げども足疲れ路傍の石に尻を掛け越《こ》し方《かた》を見下せば富士は大空にぶら下るが如くきのう過ぎにし山も村も皆竹杖のさきにかすかなり。
沓の代はたられて百舌鳥の声悲し
馬の尾をたばねてくゝる薄かな
菅笠のそろふて動く芒かな
駄句積もるほどに峠までは来りたり。前面|忽《たちま》ち見る海水盆の如く大島初島皆手の届くばかりに近く朝霧の晴間より一握りほどの小岩さえありありと見られにけり。
秋の海名も無き島のあらはるゝ
これより一目散に熱海をさして走り下りるとて草鞋の緒ふッつと切れたり。
草鞋の緒きれてよりこむ薄かな
末枯や覚束なくも女郎花
熱海に着きたる頃はいたく疲れて飢に逼《せま》りけれども層楼高閣の俗境はわが腹を肥やすべきの処にあらざればここをも走り過ぎて江《え》の浦《うら》へと志し行く。道皆海に沿うたる断崖の上にありて眺望いわん方なし。
浪ぎはへ蔦はひ下りる十余丈
根府川《ねぶかわ》近辺は蜜柑《みかん》の名所なり。
皮剥けば青けむり立つ蜜柑かな
石橋山の麓を過ぐ頼朝の隠れし処もかなたの山にありと人のいえど日已に傾むきかかれば得行かず。ただ
木のうろに隠れうせけりけらつゝき
など戯《たわむ》る。小田原を過ぐればこの頃の天気の癖とて雨はらはらと降りいでたり。笠は奉納せり。車は禁物なり。いかがはせんと並松の下に立ちよれども頼む木蔭も雨の漏りけり。ままよと濡れながら行けばさきへ行く一人の大男身にぼろを纏《まと》い肩にはケットの捲《ま》き円《まる》めたるを担《かつ》ぎしが手拭《てぬぐい》もて顔をつつみたり。うれしやかかる雨具もあるものをとわれも見まねに頬冠りをなんしける。秋雨|蕭々《しょうしょう》として虫の音《ね》草の底に聞こえ両側の並松一つに暮れて破駅既に近し。羇旅《きりょ》佳興に入るの時汽車人を載せて大磯に帰る。
底本:「山の旅 明治・大正篇」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年9月17日第1刷発行
2004(平成16)年2月14日第3刷発行
底本の親本:「日本」
1892(明治25)年10月31日から四回
初出:「日本」
1892(明治25)年10月31日から四回
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年2月3日作成
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