こそ風流のまじめ行脚の真面目なれ。
だまされてわるい宿とる夜寒かな
つぐの日まだき起き出でつ。板屋根の上の滴《したた》るばかりに沾《うるお》いたるは昨夜の雲のやどりにやあらん。よもすがら雨と聞きしも筧《かけひ》の音、谷川の響なりしものをとはや山深き心地ぞすなる。
きょうは一天晴れ渡りて滝の水朝日にきらつくに鶺鴒《せきれい》の小岩づたいに飛ありくは逃ぐるにやあらん。はたこなたへとしるべするにやあらんと草鞋のはこび自ら軽らかに箱根街道のぼり行けば鵯《ひよどり》の声左右にかしましく
我なりを見かけて鵯《ひよ》の鳴くらしき
色鳥の声をそろへて渡るげな
秋の雲滝をはなれて山の上
病みつかれたる身の一足のぼりては一息ほっとつき一坂のぼりては巌端に尻をやすむ。駕籠舁《かごかき》の頻りに駕籠をすすむるを耳にもかけず「山路の菊野菊ともまた違ひけり」と吟じつつ行けば
どつさりと山駕籠おろす野菊かな
石原に痩せて倒るゝ野菊かな
などおのずから口に浮みてはや二子山鼻先に近し。谷に臨《のぞ》めるかたばかりの茶屋に腰掛くれば秋に枯れたる婆様の挨拶《あいさつ》何となくものさびて面白く覚ゆ。見あぐれば千仞《せんじん》の谷間より木を負うて下り来る樵夫二人三人のそりのそりとものも得言わで汗を滴らすさまいと哀れなり。
樵夫二人だまつて霧をあらはるゝ
樵夫も馬子も皆足を茶屋にやすむればそれぞれにいたわる婆様のなさけ一椀の渋茶よりもなお濃し。
犬蓼の花くふ馬や茶の煙
店さきの柿の実つゝく烏かな
名物ありやと問えば力餅というものなりとて大きなる餅の焼きたるを二ッ三ッ盆に盛り来る。
山姥の力餅売る薄《すすき》かな
など戯れつつ力餅の力を仮《か》りて上ること一里余杉|樅《もみ》の大木道を夾《はさ》み元箱根の一村目の下に見えて秋さびたるけしき仙源に入りたるが如し。
紅葉する木立もなしに山深し
千里の山嶺を攀《よ》じ幾片の白雲を踏み砕きて上り着きたる山の頂に鏡を磨《と》ぎ出だせる芦の湖を見そめし時の心ひろさよ。あまりの絶景に恍惚《こうこつ》として立ちも得さらず木のくいぜに坐してつくづくと見れば山更にしんしんとして風吹かねども冷気冬の如く足もとよりのぼりて脳巓《のうてん》にしみ渡るここちなり。波の上に飛びかう鶺鴒《せきれい》は忽《たちま》ち来
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