がらぬ人もたまにあるべけれど新華族になるほどの人華族を有難がらぬはなかるべし。宮内省と文部省との違ふためか、実利と虚名とのためか、学識なきと学識あるとのためか。[#地から2字上げ](五月六日)

 五月五日にはかしは餅とて※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《かしわ》の葉に餅を包みて祝ふ事いづこも同じさまなるべし。昔は膳夫《ぜんぷ》をかしはでと言ひ歌にも「旅にしあれば椎《しい》の葉に盛る」ともあれば食物を木の葉に盛りし事もありけんを、今の世に至りてなほ五日のかしは餅ばかりその名残《なごり》をとどめたるぞゆかしき。かしは餅の歌をつくる。
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椎の葉にもりにし昔おもほえてかしはのもちひ見ればなつかし
白妙《しろたえ》のもちひを包むかしは葉の香をなつかしみくへど飽かぬかも
いにしへゆ今につたへてあやめふく今日のもちひをかしは葉に巻く
うま人もけふのもちひを白がねのうつはに盛らずかしは葉に巻く
ことほぎて贈る五日のかしはもち食ふもくはずも君がまに/\
かしは葉の若葉の色をなつかしみこゝだくひけり腹ふくるゝに
九重《ここのえ》の大宮人《おおみやびと》もかしはもち今日はをすかも賤《しず》の男《お》さびて
常にくふかくのたちばなそれもあれどかしはのもちひ今日はゆかしも
みどり子《ご》のおいすゑいはふかしは餅われもくひけり病|癒《い》ゆがに
色深き葉広《はびろ》がしはの葉を広みもちひぞつゝむいにしへゆ今に
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[#地から2字上げ](五月七日)

 碧梧桐《へきごとう》いふ、
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手料理の大きなる皿や洗ひ鯉《ごい》
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の句には理窟めきたる言ひ廻しもなきに何故に月並調なるか。余いふ、月並調といふは理窟めきたる言ひ廻しをのみいふに非ず、この句手料理も大きなる皿も共に俗なり、全体俗にして一点の雅趣なき者もまた月並調とはいふ、もし洗ひ鯉に代ふるに初松魚《はつがつお》を以てせんか、いよいよ以て純粋の月並調となるべし。碧梧桐いふ、手料理といひ料理屋といふは常に我々の用ゐる所、何が故にこの語あれば月並調といふか。余いふ、そは月並派の仲間入でも為さば直に分る事なり、先づ月並の題に初松魚といふ題出でたりとせよ、この題を得たる八公《はちこう》熊公《くまこう》の徒はなかなか以て「朝比奈《あさひな》の曾我《そが》を訪《と》ふ日や初松魚」などいふ句の味を知る者に非ず、大概は著物《きもの》を質に置くとか手料理で一杯やるとかいふやうなきまり文句を並べて出すなり、さういふ句に飽きたる我らは最早手料理といふ語を聞いたばかりにて月並臭気を感ずるやうになれり。しかし手料理といふ語あればいつでも月並調なりといふにはあらず。
 附けていふ。手料理といふ語は非常なる月並臭気を感ずれども料理屋といふ語には臭気なし。こは月並派にて手料理の語を多く用ゐれども料理屋といふ語を用ゐぬ故なり。かかる事は実際について知るべく、理を以て推すべからず。[#地から2字上げ](五月八日)

 今になりて思ひ得たる事あり、これまで余が横臥《おうが》せるにかかはらず割合に多くの食物を消化し得たるは咀嚼《そしゃく》の力|与《あずか》つて多きに居りし事を。噛みたるが上にも噛み、和らげたるが上にも和らげ、粥《かゆ》の米さへ噛み得らるるだけは噛みしが如き、あながち偶然の癖にはあらざりき。かく噛み噛みたるためにや咀嚼に最《もっとも》必要なる第一の臼歯《きゅうし》左右共にやうやうに傷《そこな》はれてこの頃は痛み強く少しにても上下の歯をあはす事出来難くなりぬ。かくなりては極めて柔かなるものも噛まずに呑み込まざるべからず。噛まずに呑み込めば美味を感ぜざるのみならず、腸胃|直《ただち》に痛みて痙攣《けいれん》を起す。是《ここ》において衛生上の営養と快心的の娯楽と一時に奪ひ去られ、衰弱とみに加はり昼夜|悶々《もんもん》、忽《たちま》ち例の問題は起る「人間は何が故に生きて居らざるべからざるか」
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さへづるやから臼《うす》なす、奥の歯は虫ばみけらし、はたつ物魚をもくはえず、木の実をば噛みても痛む、武蔵野の甘菜《あまな》辛菜《からな》を、粥汁にまぜても煮ねば、いや日けに我つく息の、ほそり行くかも
下総《しもうさ》の結城《ゆうき》の里ゆ送り来し春の鶉《うずら》をくはん歯もがも
菅《すが》の根の永き一日《ひとひ》を飯《いい》もくはず知る人も来ずくらしかねつも
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[#地から2字上げ](五月九日)

 ある人いふ、『宝船』第二号に
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やはらかに風が引手《ひくて》の柳かな     鬼史《きし》
銭金《ぜにかね》を湯水につかふ桜かな      月兎《げっと》
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の二句あり、月並調にあらずや。答、二句共に月並調に非ず、柳の句|俚語《りご》を用ゐたる故月並調らしく見ゆれど実際月並派にてはかく巧《たくみ》に、思ひきつて、得いはぬなり、桜の句も
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銭金を湯水につかふ松の内
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とでもなさば月並調となるべし、「桜かな」といふ五文字は月並派にては得《え》置かぬなり。[#地から2字上げ](五月十日)

 根岸に移りてこのかた、殊《こと》に病の牀にうち臥してこのかた、年々春の暮より夏にかけてほととぎすといふ者の声しばしば聞きたり。しかるに今年はいかにしけん、夏も立ちけるにまだおとづれず。剥製《はくせい》のほととぎすに向ひて我思ふところを述ぶ。この剥製の鳥といふは何がしの君が自《みずか》ら鷹狩に行きて鷹に取らせたるを我ためにかく製して贈られたる者ぞ。
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竜岡《たつおか》に家居る人はほとゝぎす聞きつといふに我は聞かぬに
ほとゝぎす今年は聞かずけだしくも窓のガラスの隔てつるかも
逆剥《さかはぎ》に剥ぎてつくれるほとゝぎす生けるが如し一声もがも
うつ抜きに抜きてつくれるほとゝぎす見ればいつくし声は鳴かねど
ほとゝぎすつくれる鳥は目に飽けどまことの声は耳に飽かぬかも
置物とつくれる鳥は此里に昔鳴きけんほとゝぎすかも
ほとゝぎす声も聞かぬは来馴れたる上野の松につかずなりけん
我病みていの寝らえぬにほとゝぎす鳴きて過ぎぬか声遠くとも
ガラス戸におし照る月の清き夜は待たずしもあらず山ほとゝぎす
ほとゝぎす鳴くべき月はいたつきのまさるともへば苦しかりけり
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 歌は得るに従ひて書く、順序なし。[#地から2字上げ](五月十一日)

 試に我枕もとに若干の毒薬を置け。而して余が之を飲むか飲まぬかを見よ。[#地から2字上げ](五月十一日記)

 五月十日、昨夜睡眠不定、例の如し。朝五時家人を呼び起して雨戸を明けしむ。大雨。病室寒暖計六十二度、昨日は朝来《ちょうらい》引き続きて来客あり夜寝時に至りしため墨汁一滴を認《したた》むる能はず、因つて今朝つくらんと思ひしも疲れて出来ず。新聞も多くは読まず。やがて僅《わず》かに睡気を催す。けだし昨夜は背の痛強く、終宵《しゅうしょう》体温の下りきらざりしやうなりしが今朝|醒《さ》めきりしにやあらん。熱さむれば痛も減ずるなり。
 睡《ねむ》る。目さませば九時半頃なりき。やや心地よし。ほととぎすの歌十首に詠み足し、明日の俳句欄にのるべき俳句と共に封じて、使《つかい》して神田に持ちやらしむ。
 十一時半頃|午餐《ごさん》を喰ふ。松魚《かつお》のさしみうまからず、半人前をくふ。牛肉のタタキの生肉少しくふ、これもうまからず。歯痛は常にも起らねど物を噛めば痛み出すなり。粥《かゆ》二杯。牛乳一合、紅茶同量、菓子パン五、六箇、蜜柑《みかん》五箇。
 神田より使帰る。命じ置きたる鮭《さけ》のカン詰を持ち帰る。こはなるべく歯に障《さわ》らぬ者をとて択びたるなり。
『週報』応募の牡丹《ぼたん》の句の残りを検す。
 寐床の側の畳に麻もて箪笥《たんす》の環《かん》の如き者を二つ三つ処々にこしらへしむ。畳堅うして畳針|透《とお》らずとて女ども苦情たらだらなり。こはこの麻の環を余の手のつかまへどころとして寐返りを扶《たす》けんとの企《くわだて》なり。この頃体の痛み強く寐返りにいつも人手を借るやうになりたれば傍に人の居らぬ時などのためにかかる窮策を発明したる訳なるが、出来て見れば存外《ぞんがい》便利さうなり。
 繃帯《ほうたい》取替にかかる。昨日は来客のため取替せざりしかば膿《うみ》したたかに流れ出て衣を汚せり。背より腰にかけての痛今日は強く、軽く拭《ぬぐ》はるるすら堪へがたくして絶えず「アイタ」を叫ぶ。はては泣く事例の如し。
 浣腸《かんちょう》すれども通ぜず。これも昨日の分を怠りしため秘結《ひけつ》せしと見えたり。進退|谷《きわ》まりなさけなくなる。再び浣腸す。通じあり。痛けれどうれし。この二仕事にて一時間以上を費す。終る時三時。
 著物《きもの》二枚とも著《き》かふ、下著《したぎ》はモンパ、上著は綿入。シヤツは代へず。
 三島神社祭礼の費用取りに来る。一|匹《ぴき》やる。
 繃帯かへ終りて後体も手も冷えて堪へがたし。俄《にわか》に燈炉《とうろ》をたき火鉢をよせ懐炉《かいろ》を入れなどす。
 繃帯取替の間|始終《しじゅう》右に向き居りし故背のある処痛み出し最早右向を許さず。よつて仰臥《ぎょうが》のままにて牛乳一合、紅茶ほぼ同量、菓子パン数箇をくふ。家人マルメロのカン詰をあけたりとて一片《ひときれ》持ち来る。
 豆腐屋|蓑笠《みのかさ》にて庭の木戸より入り来る。
 午後四時半体温を験《けん》す、卅八度六分。しかも両手なほ冷《ひややか》、この頃は卅八度の低熱にも苦しむに六分とありては後刻の苦《くるしみ》さこそと思はれ、今の内にと急ぎてこの稿を認《したた》む。さしあたり書くべき事もなく今日の日記をでたらめに書く。仰臥のまま書き終る時六時、先刻より熱発してはや苦しき息なり。今夜の地獄思ふだに苦し。
 雨は今朝よりふりしきりてやまず。庭の牡丹《ぼたん》は皆散りて、西洋葵《せいようあおい》の赤き、をだまきの紫など。[#地から2字上げ](五月十二日)

 今日は闕。但草稿卅二字余が手もとにあり。[#地から2字上げ](五月十三日)

 松の若緑は一尺もあらうと思ふのがズンズンと上へ真直に伸びて行く。杉の新芽は小いのがいくつ出ても皆下へぶら下つてしまふ。それでも丈くらべしては到底松は杉に及びはせぬ。[#地から2字上げ](五月十四日)

 五月はいやな月なり。この二、三日|漸《ようや》く五月心地になりて不快に堪へず。頭もやもや考《かんがえ》少しもまとまらず。
 夢の中では今でも平気に歩行《ある》いて居る。しかし物を飛びこえねばならぬとなるといつでも首を傾ける。
 この頃の天気予報の当らぬにも驚く。
 体の押されて痛い時は外に仕方がないから、物に触れぬやうに空中にフハリと浮きたいと思ふ、空気の比重と人間の比重とを同じにして。
 去年の今頃はゐざるやうにして次の間位へは往かれたものが今年の今は寐返りがむつかしくなつた。来年の今頃は動かれぬやうになつて居るであらう。
 先日余の引いた凶の鬮《くじ》を穴守様《あなもりさま》で流してもらふたとわざわざ鼠骨《そこつ》の注進。
 筍《たけのこ》が掘つて見たい。
 日光新緑を射て驟雨《しゅうう》一過、快。緑のぬれぬれしたる中を鴉《からす》一羽葉に触れさうに飛んで行く。
 附記、後で見れば文体一致せず。頭のわるい証《しるし》なり。[#地から2字上げ](五月十五日)

 今日は朝から太鼓がドンドンと鳴つて居る。根岸のお祭なんである。お祭といふとすぐに子供の時を思ひ出すが、余がまだ十か十一位の事であつたらう、田舎に郷居《さとい》して居た伯父の内へお祭で招かれて行く時に余は懐剣《かいけん》をさして往た。これは余の内には頑固な風が残つて居て、男は刀をさすべきであるが今となつてはそれも憚《はばか》りであるから、せめて懐剣でもさして往くが善いといふので母の懐剣を貸されたのである。余はそれが嬉しいの
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