今まで画家に対する待遇の無礼なりしを悔ゆるに至れり。固《もと》より初より画家なりとて毫《ごう》も軽蔑したるにはあらねど画家の職分に対しては誤解し居たり。余は画家に向ひて注文すべき権利を有し画家は余の注文に応じてかくべき義務を有すと思へりしは甚だしき誤解なり。これけだし当時の浮世画工をのみ知りたる余には無理ならぬ誤解なりしなるべく、今もなほ一般の人はこの誤解に陥り居る者の如し。
明治二十七年の秋上野に例の美術協会の絵画展覧会あり、不折君と共に往きて観る。その時参考品|御物《ぎょぶつ》の部に雪舟《せっしゅう》の屏風《びょうぶ》一双《いっそう》(琴棋《きんき》書画を画《えが》きたりと覚ゆ)あり。素人眼《しろうとめ》には誠につまらぬ画にて、雪舟崇拝と称せし当時の美術学校派さへこれを凡作と評したるほどなりしが、不折君はやや暫《しば》し見て後|頻《しき》りに讃歎《さんたん》して已《や》まず、これほどの大作雪舟ならばこそ為し得たれ到底凡人の及ぶ所に非ずといへり。かくて不折君は余に向ひて詳《つまびらか》にこの画の結構《けっこう》布置《ふち》を説きこれだけの画に統一ありて少しも抜目《ぬけめ》なき処さす
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