種の不愉快な感を起すほどになつてしまふた。
余が大学予備門の試験を受けたのは明治十七年の九月であつたと思ふ。この時余は共立学校(今の開成中学)の第二級でまだ受験の力はない、殊に英語の力が足らないのであつたが、場馴《ばな》れのために試験受けようぢやないかといふ同級生が沢山あつたので固《もと》より落第のつもりで戯《たわむ》れに受けて見た。用意などは露もしない。ところが科によると存外たやすいのがあつたが一番困つたのは果して英語であつた。活版|摺《ずり》の問題が配られたので恐る恐るそれを取つて一見すると五問ほどある英文の中で自分に読めるのは殆どない。第一に知らない字が多いのだから考へやうもこじつけやうもない。この時余の同級生は皆片隅の机に並んで坐つて居たが(これは始より互に気脈を通ずる約束があつたためだ)余の隣の方から問題中のむつかしい字の訳を伝へて来てくれるので、それで少しは目鼻が明いたやうな心持がして善い加減に答へて置いた。その時或字が分らぬので困つて居ると隣の男はそれを「幇間《ほうかん》」と教へてくれた、もつとも隣の男も英語不案内の方で二、三人隣の方から順々に伝へて来たのだ、しかしどう
前へ
次へ
全196ページ中167ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング