》既にこの語を用ゐたれば何の差支《さしつかえ》もあるまじと思ひて我らも平気に使ひ居たるなり云々。余いふ。蕪村既に用ゐたればこれを用ゐることにつき余が嘴《くちばし》を容《い》るべきにあらず、しかしながら蕪村は牡丹の句二十もある中に「ぼうたん」と読みたるはただ一句あるのみ。しかもその句は
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ぼうたんやしろがねの猫こがねの蝶《ちょう》
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といふ風変りの句なり、これを見れば蕪村も特にこの句にのみ用ゐたるが如く決して普通に用ゐたるにあらず。それを蕪村が常に用ゐたるが如く思ひて蕪村がこの語を用ゐたりなどいふ口実を設けこれを濫用《らんよう》すること蕪村は定めて迷惑に思ふなるべし、この事は特に蕪村のために弁じ置く。[#地から2字上げ](六月三日)
募集の俳句は句数に制限なければとて二十句三十句四十句五十句六十句七十句も出す人あり。出す人の心持はこれだけに多ければどれか一句はぬかれるであらうといふ事なり。故にこれを富鬮《とみくじ》的応募といふ。かやうなる句は初め四、五句読めば終まで読まずともその可否は分るなり。いな一句も読まざる内に佳句《かく》なき事は分
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