はでな事をはづかしがるといふ反対の性質が既に萌芽《ほうが》を発して居る。かういふ風であるから大人に成つて後東京の者は愛嬌《あいきょう》があつてつき合ひやすくて何事にもさかしく気がきいて居るのに反して田舎の者は甚だどんくさいけれどしかし国家の大事とか一世の大事業といふ事になるとかへつて田舎の者に先鞭《せんべん》をつけられ東京ツ子はむなしくその後塵《こうじん》を望む事が多い。一得一失。[#地から2字上げ](五月二十九日)
東京に生れた女で四十にも成つて浅草の観音様を知らんといふのがある。嵐雪《らんせつ》の句に
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五十にて四谷を見たり花の春
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といふのがあるから嵐雪も五十で初めて四谷を見たのかも知れない。これも四十位になる東京の女に余が筍《たけのこ》の話をしたらその女は驚いて、筍が竹になるのですかと不思議さうにいふて居た。この女は筍も竹も知つて居たのだけれど二つの者が同じものであるといふ事を知らなかつたのである。しかしこの女らは無智文盲だから特にかうであると思ふ人も多いであらうが決してさういふわけではない。余が漱石《そうせき》と共に高等中学に
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