るりの鴨居《かもい》には菅笠《すげがさ》が掛つてゐる、蓑《みの》が掛つてゐる、瓢《ひさご》の花いけが掛つてゐる。枕元を見ると箱の上に一寸ばかりの人形が沢山並んでゐる、その中にはお多福《たふく》も大黒《だいこく》も恵比寿《えびす》も福助《ふくすけ》も裸子《はだかご》も招き猫もあつて皆笑顔をつくつてゐる。こんなつまらぬ時にかういふオモチヤにも古笠などにも皆足が生えて病牀のぐるりを歩行《ある》き出したら面白いであらう。[#地から2字上げ](四月四日)
恕堂《じょどう》が或日大きな風呂敷包を持て来て余に、音楽を聴くか、といふから、余は、どんな楽器を持て来たのだらうと危みながら、聴く、と答へた。それから瞳を凝《こら》して恕堂のする事を見てゐると、恕堂は風呂敷を解いて蓄音器を取り出した。この器械は余は始て見たので、一尺ほどのラツパが突然と余の方を向いて口を開いたやうにしてゐたのもをかしかつた。それからまた箱の中から竹の筒を六、七寸に切つたやうなものを取り出した。これが蝋《ろう》なので、この蝋の表面に極めて微細な線がついてをるのは、これが声の痕《あと》であるさうな。これを器械にかけてねぢをかけると、ひとりでにブル/\/\/\といひ出す。この竹の筒のやうなものが都合《つごう》十八あつたのを取り更《か》へ取り更へてかけて見たが、過半は西洋の歌であるので我々にはよくわからぬ。しかし日本の唱歌などに比べると調子に変化があつて面白く感じる。日本のは三つほどの内に越後獅子《えちごじし》の布を晒《さら》す所ぢやといふのが一つあつた。それは甚だ面白かつた。西洋の歌の中にラフイング、ソング(笑歌)と題するのがあつて何の事だかわからぬが、調子は非常な急な調子で、ところどころに笑ひ声が這入《はい》つてゐる歌であつた。これは笑ひ声に巧みなといふ評判の西洋音楽師が吹き込むだんださうで今試みにこの歌を想像して見ると、
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鴉《からす》が五、六羽飛んで来て、権兵衛の頭に糞かけた。アツハハ、ハツハ、アツハハハ
神鳴り四、五匹ゴロ/\/\、雲の上からスツテンコロ/\、物ほし台にひかかつた。太鼓が破れて滅茶々々だ。アツハハ、ハツハ、アツハハハ
猫屋の婆さん四十島田、猫の子十匹産み居つた。白猫黒猫三毛猫山猫招き猫。アツハハ、ハツハ、アツハハハ
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といふやうにも聞えた。しかし原作がこんなに俗であるかどうかそれは知らぬ。[#地から2字上げ](四月五日)
故|陸奥宗光《むつむねみつ》氏と同じ牢舎に居た人に、陸奥はどんな人か、と問ふたら、眼から鼻へ抜けるやうな男だ、といふ答であつた。今生きて居る人にも眼から鼻へ抜けるほどの利口者といはれて居るのが二、三人はある。自分も一度かういふ人に逢ふて、眼から鼻へ抜ける工合を見たいものだ。[#地から2字上げ](四月六日)
この頃は左の肺の内でブツ/\/\/\といふ音が絶えず聞える。これは「怫《ぶつ》々々々」と不平を鳴らして居るのであらうか。あるいは「仏々々々」と念仏を唱へて居るのであらうか。あるいは「物々々々」と唯物説《ゆいぶつせつ》でも主張して居るのであらうか。[#地から2字上げ](四月七日)
僕は子供の時から弱味噌《よわみそ》の泣味噌《なきみそ》と呼ばれて小学校に往ても度々泣かされて居た。たとへば僕が壁にもたれて居ると右の方に並んで居た友だちがからかひ半分に僕を押して来る、左へよけようとすると左からも他の友が押して来る、僕はもうたまらなくなる、そこでそのさい足の指を踏まれるとか横腹をやや強く突かれるとかいふ機会を得て直《ただち》に泣き出すのである。そんな機会はなくても二、三度押されたらもう泣き出す。それを面白さに時々僕をいぢめる奴があつた。しかし灸を据ゑる時は僕は逃げも泣きもせなんだ。しかるに僕をいぢめるやうな強い奴には灸となると大騒ぎをして逃げたり泣いたりするのが多かつた。これはどつちがえらいのであらう。[#地から2字上げ](四月八日)
一 人間一匹
右|返上《へんじょう》申候但時々幽霊となつて出られ得る様|以特別《とくべつをもって》御取計|可被下《くださるべく》候也
明治三十四年月日 何がし
地水火風《ちすいかふう》御中[#地から2字上げ](四月九日)
余の郷里にては時候が暖かになると「おなぐさみ」といふ事をする。これは郊外に出て遊ぶ事で一家一族近所|合壁《かっぺき》などの心安き者が互にさそひ合せて少きは三、四人多きは二、三十人もつれ立ちて行くのである。それには先づ各自各家に弁当かまたはその他の食物を用意し、午刻《ごこく》頃より定めの場所に行きて陣取る。その場所は多く川辺の芝生にする。川が近くなければ水を得る事が出来ぬからである。
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