見れば宝引はおもに夜の遊びと見えたり。そのほか宝引の句
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宝引に蝸牛《かぎゅう》の角をたゝくなり 其角
投げ出すや己《おのれ》引き得し胴ふぐり 太祇《たいぎ》
宝引や和君《わぎみ》裸にして見せん 嘯山《しょうざん》
宝引や今度は阿子に参らせん 之房
宝引の宵は過ぎつゝ逢はぬ恋 几董《きとう》
結神
宝引やどれが結んであらうやら 李流
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[#地から2字上げ](三月十八日)
病室の三方には襖《ふすま》が十枚あつて茶色の紙で貼つてあるがその茶色も銀の雲形も大方はげてしまふた。左の方の柱には古笠と古蓑《ふるみの》とが掛けてあつて、右の方の暖炉《だんろ》の上には写真板の手紙の額が黒くなつて居る。北側の間半《けんはん》の壁には坊さんの書いた寒山《かんざん》の詩の小幅が掛つて居るが極めて渋い字である。どちらを見ても甚だ陰気で淋《さび》しい感じであつた。その間へ大黒様の状さしを掛けた。病室が俄《にわ》かに笑ひ出した。[#地から2字上げ](三月十九日)
頭の黒い真宗《しんしゅう》坊さんが自分の枕元に来て、君の文章を見ると君は病気のために時々大問題に到著《とうちゃく》して居る事があるといふた。それは意外であつた。
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病牀に日毎餅食ふ彼岸《ひがん》かな
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[#地から2字上げ](三月二十日)
露伴《ろはん》の『二日物語』といふが出たから久しぶりで読んで見て、露伴がこんなまづい文章(趣向にあらず)を作つたかと驚いた。それを世間では明治の名文だの修辞の妙を極めて居るだのと評して居る。各人批評の標準がそんなに違ふものであらうか。[#地から2字上げ](三月二十一日)
三日後の天気予報を出してもらひたい。[#地から2字上げ](三月二十二日)
大阪の雑誌『宝船』第一号に、蘆陰舎百堂《ろいんしゃひゃくどう》なる者が三世|夜半亭《やはんてい》を継ぎたりと説きその証として「平安《へいあん》夜半《やはん》翁三世|浪花《なにわ》蘆陰舎《ろいんしゃ》」と書ける当人の文を挙げたり。されどこはいみじき誤なり。「夜半翁三世」といふは蕪村《ぶそん》より三代に当るといふ事にて「三世夜半亭」といふ事に非ず。もし三世夜半亭の意ならば重ねて蘆陰舎といふ舎号を書くはずもあるまじ。思ふにこの人|大魯《たいろ》の門弟にて蕪村の又弟子に当るにやあらん。[#地から2字上げ](三月二十三日)
加賀|大聖寺《だいしょうじ》の雑誌『虫籠』第三巻第二号出づ。裏画「初午《はつうま》」は道三の筆なる由実にうまい者なり。ただ蕪村の句の書き様はやや位置の不調子を免れざるか。
右雑誌の中「重箱楊枝」と題する文の中に
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俳諧に何々顔といふ語は、盛《さかん》に蕪村や太祇《たいぎ》に用ゐられた、そこで子規君も多分この二人の新造語であらうとまで言はれたが、これは少し言ひすごしである。元禄二年|板《ばん》の其角《きかく》十七条に、附句《つけく》の例として
宿札に仮名づけしたるとはれ顔
とある、恐らくこの辺からの思ひつきであらう。
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と書けり。余はさる事をいひしや否や今は忘れたれどもし言ひたらばそは誤なり。何々顔といふ語は俳諧に始まりたるに非ずして古く『源氏物語』などにもあり、「空《そら》も見知り顔に」といへる文句を挙げて前年『ホトトギス』随問随答欄に弁じたる事あり。されば連歌《れんが》時代の発句《ほっく》にも
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又や鳴かん聞かず顔せば時鳥《ほととぎす》 宗長《そうちょう》
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などあり。なほ俳諧時代に入りても元禄より以前に
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ふぐ干や枯《かれ》なん葱《ねぎ》の恨み顔 子英
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といふあり。こは天和《てんな》三年刊行の『虚栗《みなしぐり》』に出でたる句なり。そのほか元禄にも何々顔の句少からず。
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寺に寐て誠《まこと》顔なる月見かな 芭蕉《ばしょう》
苗代《なわしろ》やうれし顔にも鳴く蛙 許六《きょりく》
蓮《はす》踏みて物知り顔の蛙かな 卜柳
雛《ひな》立て今日ぞ娘の亭主顔 硯角《けんかく》
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などその一例なり。因《ちなみ》にいふ。太祇《たいぎ》にも蕪村《ぶそん》にも几董《きとう》にも「訪はれ顔」といふ句あるは其角《きかく》の附句より思ひつきたるならん。[#地から2字上げ](三月二十四日)
羽後《うご》能代《のしろ》の雑誌『俳星』は第二巻第一号を出せり。為山《いざん》の表紙模様は蕗《ふき》の林に牛を追ふ意匠|斬新《ざんしん》にしてしかも模様
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