ごく》尤《もっとも》と思はるれど、この歌の如きは男的男を他の男が評する事故余り変にして何だかいやな気味の悪い心持になるなり。畢竟《ひっきょう》この歌にて「男らしき」といふ形容詞を用ゐたるが悪きにて、かかる形容詞はなくてもすむべく、また他の詞《ことば》を置きてもよかりしならん。[#地から2字上げ](四月二日)
『明星』所載落合氏の歌
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まどへりとみづから知りて神垣《かみがき》にのろひの釘《くぎ》をすてゝかへりぬ
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この種の歌いはゆる新派の作に多し。趣向の小説的なる者を捕へてこれを歌に詠みこなす事は最も難きわざなるにただ歴史を叙する如き筆法に叙し去りて中心もなく統一もなき無趣味の三十一文字となし自《みずか》ら得たりとする事初心の弊《へい》なり。この歌もまた同じ病に罹りたるが如し。先づこの歌の作者の地位に立つべき者はのろひ釘《くぎ》の当人と見るべきか、もし当人が自分の事を叙すとせば「すてゝかへりぬ」といふ如き他人がましき叙しやうあるべからず。また傍観者の歌とせんか、秘密中の秘密に属するのろひ釘を見る事もことさらめきて誠《まこと》しからず、はた「惑へりと自ら知りて」とその心中まで明瞭に見抜きたるもあるべき事ならず。されど場合によりては小説家が小説を叙する如く、秘密なる事実は勿論、その心中までも見抜きて歌に詠む事全くなきにあらねどそは至難のわざなり。この歌の如く「すてゝかへりぬ」と結びては歴史的即ち雑報的の結末となりて美文的即ち和歌的の結末とはならず。つまりこの歌は雑報記者が雑報を書きたる如き者にして少しも感情の現れたる処なし。これでは先づ歌の資格を持たぬ歌ともいふべきか。釘をすてて帰るなどいふ事も随分変的な想像なれど一々に論ぜんはうるさければ省く事とすべし。妄評々々死罪々々。[#地から2字上げ](四月三日)
春雨の朝からシヨボシヨボと降る日は誠に静かで小淋《こさび》しいやうで閑談に適して居るから、かういふ日に傘さして袖濡らしてわざわざ話しに来たといふ遠来の友があると嬉しからうがさういふ事は今まであつた事がない。今日も雨が降るので人は来ず仰向《あおむけ》になつてぼんやりと天井を見てゐると、張子《はりこ》の亀もぶら下つてゐる、芒《すすき》の穂の木兎《みみずく》もぶら下つてゐる、駝鳥《だちょう》の卵の黒いのもぶら下つてゐる、ぐ
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