ころ玉稿拝読|致候《いたしそうろう》に御句《おんく》の多き割合に佳句の少きは小生の遺憾とする所にして『日本』の俳句欄も投句のみを以て填《うず》め兼候《かねそうろう》場合も不少《すくなからず》候。選抜の比例を申候《もうしそうら》はんに十分の一以上の比例を取り候は格堂《かくどう》寒楼《かんろう》ら諸氏の作に候。その他は百分の一に当らざる者すら有之《これあり》候。多作第一とも称すべき八重桜《やえざくら》氏は毎季数千句を寄せられ一題の句数大方二十句より四、五十句に及び候。されどその句を見るに徒《いたずら》に多きを貪《むさぼ》る者の如く平凡陳腐の句も剽窃《ひょうせつ》の句も構《かま》はずやたらに排列《はいれつ》せられたるはやや厭はしく感じ申候。また一題百句など数多《あまた》寄せらるる人も有之候。一題百句は第一期の修行として極めて善き事なれどその中より佳句を抜き出す事は甚だ困難なるべく、ましてその題が火燵《こたつ》、頭巾《ずきん》、火鉢《ひばち》、蒲団《ふとん》の類《たぐい》なるにおいては読まずしてその句の陳腐なること知れ申候。故に箇様《かよう》なる場合においては初めの十句ほどを読みその中に佳句なくば全体に佳句なき者として没書致すべく候。小生も追々衰弱に赴き候に付《つき》二十句の佳什《かじゅう》を得るために千句以上を検閲せざるべからずとありては到底病脳の堪ふる所に非ず候。何卒《なにとぞ》御自身|御選択《ごせんたく》の上御寄稿|被下候様《くだされそうろうよう》希望候。以上。[#地から2字上げ](二月十二日)
毎朝|繃帯《ほうたい》の取換をするに多少の痛みを感ずるのが厭《いや》でならんから必ず新聞か雑誌か何かを読んで痛さを紛《まぎ》らかして居る。痛みが烈しい時は新聞を睨《にら》んで居るけれど何を読んで居るのか少しも分らないといふやうな事もあるがまた新聞の方が面白い時はいつの間にか時間が経過して居る事もある。それで思ひ出したが昔|関羽《かんう》の絵を見たのに、関羽が片手に外科の手術を受けながら本を読んで居たので、手術も痛いであらうに平気で本を読んで居る処を見ると関羽は馬鹿に強い人だと小供心にひどく感心して居たのであつた。ナアニ今考へて見ると関羽もやはり読書でもつて痛さをごまかして居たのに違ひない。[#地から2字上げ](二月十三日)
徳川時代のありとある歌人を一堂に集め試みにこ
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