細長き葉のやや白みを帯びたる、こは春になれば黄なる花の咲く草なり、これら皆寸にも足らず。その後に植ゑたるには田平子《たびらこ》の札あり。はこべらの事か。真後《まうしろ》に芹《せり》と薺《なずな》とあり。薺は二寸ばかりも伸びてはや蕾《つぼみ》のふふみたるもゆかし。右側に植ゑて鈴菜《すずな》とあるは丈《たけ》三寸ばかり小松菜のたぐひならん。真中に鈴白《すずしろ》の札立てたるは葉五、六寸ばかりの赤蕪《あかかぶら》にて紅《くれない》の根を半ば土の上にあらはしたるさま殊《こと》にきはだちて目もさめなん心地する。『源語《げんご》』『枕草子《まくらのそうし》』などにもあるべき趣《おもむき》なりかし。
[#ここから2字下げ]
あら玉の年のはじめの七くさを籠に植ゑて来《こ》し病めるわがため
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ](一月十七日)

 この頃根岸|倶楽部《クラブ》より出版せられたる根岸の地図は大槻《おおつき》博士の製作に係《かか》り、地理の細精《さいせい》に考証の確実なるのみならずわれら根岸人に取りてはいと面白く趣ある者なり。我らの住みたる処は今|鶯《うぐいす》横町といへど昔は狸《たぬき》横町といへりとぞ。
[#ここから2字下げ]
田舎路はまがりくねりておとづるる人のたづねわぶること吾が根岸のみかは、抱一《ほういつ》が句に「山茶花《さざんか》や根岸はおなじ垣つゞき」また「さゞん花や根岸たづぬる革ふばこ」また一種の風趣《ふうしゅ》ならずや、さるに今は名物なりし山茶花かん竹《ちく》の生垣もほとほとその影をとどめず今めかしき石|煉瓦《れんが》の垣さへ作り出でられ名ある樹木はこじ去られ古《いにし》への奥州路《おうしゅうじ》の地蔵などもてはやされしも取りのけられ鶯の巣は鉄道のひびきにゆりおとされ水※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]《くいな》の声も汽笛にたたきつぶされ、およそ風致といふ風致は次第に失せてただ細路のくねりたるのみぞ昔のままなり云々《うんぬん》
[#ここで字下げ終わり]
と博士は記《しる》せり。中にも鶯横町はくねり曲りて殊に分りにくき処なるに尋ね迷ひて空《むな》しく帰る俗客もあるべしかし。[#地から2字上げ](一月十八日)

 蕪村《ぶそん》は天明《てんめい》三年十二月二十四日に歿したれば節季《せっき》の混雑の中にこの世を去りたるなり。しかるにこの忌日《き
前へ 次へ
全98ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
正岡 子規 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング