の頃は卅八度の低熱にも苦しむに六分とありては後刻の苦《くるしみ》さこそと思はれ、今の内にと急ぎてこの稿を認《したた》む。さしあたり書くべき事もなく今日の日記をでたらめに書く。仰臥のまま書き終る時六時、先刻より熱発してはや苦しき息なり。今夜の地獄思ふだに苦し。
 雨は今朝よりふりしきりてやまず。庭の牡丹《ぼたん》は皆散りて、西洋葵《せいようあおい》の赤き、をだまきの紫など。[#地から2字上げ](五月十二日)

 今日は闕。但草稿卅二字余が手もとにあり。[#地から2字上げ](五月十三日)

 松の若緑は一尺もあらうと思ふのがズンズンと上へ真直に伸びて行く。杉の新芽は小いのがいくつ出ても皆下へぶら下つてしまふ。それでも丈くらべしては到底松は杉に及びはせぬ。[#地から2字上げ](五月十四日)

 五月はいやな月なり。この二、三日|漸《ようや》く五月心地になりて不快に堪へず。頭もやもや考《かんがえ》少しもまとまらず。
 夢の中では今でも平気に歩行《ある》いて居る。しかし物を飛びこえねばならぬとなるといつでも首を傾ける。
 この頃の天気予報の当らぬにも驚く。
 体の押されて痛い時は外に仕方がないから、物に触れぬやうに空中にフハリと浮きたいと思ふ、空気の比重と人間の比重とを同じにして。
 去年の今頃はゐざるやうにして次の間位へは往かれたものが今年の今は寐返りがむつかしくなつた。来年の今頃は動かれぬやうになつて居るであらう。
 先日余の引いた凶の鬮《くじ》を穴守様《あなもりさま》で流してもらふたとわざわざ鼠骨《そこつ》の注進。
 筍《たけのこ》が掘つて見たい。
 日光新緑を射て驟雨《しゅうう》一過、快。緑のぬれぬれしたる中を鴉《からす》一羽葉に触れさうに飛んで行く。
 附記、後で見れば文体一致せず。頭のわるい証《しるし》なり。[#地から2字上げ](五月十五日)

 今日は朝から太鼓がドンドンと鳴つて居る。根岸のお祭なんである。お祭といふとすぐに子供の時を思ひ出すが、余がまだ十か十一位の事であつたらう、田舎に郷居《さとい》して居た伯父の内へお祭で招かれて行く時に余は懐剣《かいけん》をさして往た。これは余の内には頑固な風が残つて居て、男は刀をさすべきであるが今となつてはそれも憚《はばか》りであるから、せめて懐剣でもさして往くが善いといふので母の懐剣を貸されたのである。余はそれが嬉しいの
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