吾のけふ俄かに足立ちたりと覚えて夢心地に喜ぶこともあり。斯る夢のさめたる時、もしや誠に足の立つにはあらずやなど思ひて、こゝろみに足蹈みのばし見るもはかなき限りなり。此春迄は両足蹈みのばせば左の足の踵は右の足のくる節に届きしを、今は左の指の尖が彼の節に触るゝばかりに縮みける。されど夢にはあらで、ふと足の伸ぶべきやうに覚えて、蹈みのべて見ては失望することすら少からず。我ながらおろかにぞなりまさりける。
○病みて臥せる身には日和程嬉しきはなし。朝々雨戸明けしむる時、寝ながらに外面に向きて空を窺ふ、彼方の上野の森に朝日のあたるを見れば胸の塵一時に掃かれたる心地す。若し空曇りて薄暗き時は新聞を披きて先づ天気予報を見る。曇り後晴れなどありたらんはさすがに望みあり。
○蚊帳つれば薄暗きを厭ひて、宵の程は蚊を打ち/\書読み物書きなどす。たまさかにぶん/\といふ虫来りて顔のあたり飛びめぐるを、うるさしとて追ひやれど又戻り来つ、投げつくれど羽堅くして傷れず。はては腹だゝしさにそを捕へて足一つ/\もぎ取りて放しけるに、僅に残りたる足のきれにてもがき/\少し這ひありく。之を見るに俄かに哀しく覚えていかにせましと思へど、再び足をつぐべくもあらず。寧ろ殺さましと手に取れどそれもしかねて、今更罪の深き思ひせらるゝもよしなしや。



底本:「日本の名随筆28 病」作品社
   1985(昭和60)年2月25日第1刷発行
   1996(平成8)年2月29日第16刷発行
底本の親本:「子規全集 第九巻」改造社
   1929(昭和4)年8月発行
入力:遠藤貴
校正:今井忠夫
2001年1月22日公開
2006年4月11日修正
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