ばかりで又金出してくれともいへず、来年の年忌にでもなつたら又工夫もつくであらうといふ事であつた。何だか心細い話ではあるが併し遺稿を一年早く出したからつて別に名誉といふ訳でも無いから来年でも出来さへすりや結構だ。併し先日も鬼が笑つて居たから気にならないでもないが何うせ死んでから自由は利かないサ、只あきらめて居るばかりだ。時に近頃隣の方が大分騒がしいが何でも華族か何かゞやつて来たやうだ。華族といや大さうなやうだが引導一つ渡されりヤ華族様も平民様もありやアしない。妻子珍宝及王位、臨命終時不随者といふので御釈迦様はすました者だけれど、なか/\さうは覚悟しても居ないから凡夫の御台様や御姫様はさぞ泣きどほしで居られるであらう。可愛想に、華族様だけは長いきさせても善いのだが、死に神は賄賂も何も取らないから仕方がない。華族様なんぞは平生苦労を知らない代りに死に際なんて来たらうろたへたことであらう。可愛想だが取り返しもつかないサ。正三位勲二等などゝ大きな墓表を建てたツて土の下三尺下りや何のきゝめもあるものでない。地獄では我々が古参だから頭下げて来るなら地獄の案内教へてやらないものでも無いが、生意気に広い墓地を占領して、死んで後迄も華族風を吹かすのは気にくはないヨ。元来墓地には制限を置かねばならぬといふのが我輩の持論だが、今日のやうに人口が繁殖して来る際に墓地の如き不生産的地所が殖えるといふのは厄介極まる話だ。何も墓地を広くしないからツて死者に対する礼を欠くといふ訳は無い。華族が一人死ぬると長屋の十軒も建つ程の地面を塞げて、甚だけしからん、といつて独り議論したツて始まらないや。ドレ一寐入しようか。……アヽ淋しい/\。此頃は忌日が来ようが盂蘭盆が来ようが誰一人来る者も無い。最も此処へ来てから足かけ五年だからナ。遺稿はどうしたか知らん、大方出来ないのは極つてる。誰も墓参りにも来ない者が遺稿の事など世話してくれる筈は無い。お隣の華族様も最う大分地獄馴れて、蚯蚓の小便の味も覚えられたであらう。淋しいのは少しも苦にならないけれど、人が来ないので世上の様子がさつぱり分らないには困る。友だちは何として居るか知らツ。小つまは勤めて居るなら最う善いかげんの婆さんになつたらう。みイちやんは婚礼したかどうか知らツ。市区改正はどれだけ捗取つたか、市街鉄道は架空蓄電式になつたか、それとも空気圧搾式になつたか知らツ。中央鉄道は聯絡したか知らツ。支那問題はどうなつたらう。藩閥は最う破れたか知らツ。元老も大分死んでしまつたらう。自分が死ぬる時は星の全盛時代であつたが今は誰の時代か知らツ。オー寒い/\何だかいやに寒くなつてきた。どこやらから娑婆の寒い風を吹きつけて来る。先日の雨に此処の地盤が崩れたと見えて、こほろぎの声が近く聞えるのだが誰も修理に来る者などはありやしない。オヤ誰か来やがつた。夜になつてから詩を吟じながらやつて来るのは書生に違ひ無いが、オヤおれの墓の前に立つて月明りに字を読んで居やがるな。気障な墓だなんて独り言いつて居やがらア。オヤ恐ろしい音をさせアがつた。石塔の石を突きころがしたナ。失敬千万ナ。こんな奴が居るから幽霊に出たくなるのだ。一寸幽霊に出てあいつをおどかしてやらうか。併し近頃は慾の深い奴が多いから、幽霊が居るなら一つふんじばつて浅草公園第六区に出してやらうなんていふので幽霊捕縛に歩行いて居るのかも知れないから、うつかり出られないが、失敬ナ、悠々と詩を吟じながら往つてしまやがつた。此頃此処へ来る奴にろくな奴は無いよ。きのふも珍しく色の青い眼鏡かけた書生が来て何か頻りに石塔を眺めて居たと思つたら、今度或る雑誌に墓といふ題が出たので其材料を捜しに来たのであつた。何でも今の奴は只は来ないよ。たまに只※[#二の字点、1−2−22]来た奴があると石塔をころがしたりしやアがる。始末にいけない。オー寒いぞ/\。寒いツてもう粟粒の出来る皮も無しサ。身の毛のよだつといふ身の毛も無いのだが、所謂骨にしみるといふやつだネ。馬鹿に寒い。オヤ/\馬鹿に寒いと思つたら、あばら骨に月がさして居らア。
○僕が死んだら道端か原の真中に葬つて土饅頭を築いて野茨を植ゑてもらひたい。石を建てるのはいやだが已む無くば沢庵石のやうなごろ/\した白い石を三つか四つかころがして置くばかりにしてもらはう。若しそれも出来なければ円形か四角か六角かにきつぱり切つた石を建てゝもらひたい。彼自然石といふ薄ツぺらな石に字の沢山彫つてあるのは大々嫌ひだ。石を建てゝも碑文だの碑銘だのいふは全く御免蒙りたい。句や歌を彫る事は七里ケツパイいやだ。若し名前でも彫るならなるべく字数を少くして悉く篆字にしてもらひたい。楷書いや。仮名は猶更。



底本:「日本の名随筆55 葬」作品社
   1987(昭和62)年5月25日第1刷発
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