鹿《まおしか》の肩焼く占《うら》にうらとひて事あきらめし神代をぞ思ふ
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 筑紫人《つくしびと》のその国へかえるに
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程すぎて帰らぬ君と夕占《ゆうけ》とひまつらむ妹にとく行《ゆき》て逢へ
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 されど女を思うも子を思うも恋い思うとばかり詠む短歌にては、感情の切なるを感ずるほかなければ、いずれにても深き差異あるにあらず。この点におきて『万葉』と曙覧と強いて優劣するを要せず。しこうして客観的歌想に至りては曙覧やや進めり。
 四季の題は多く客観的にして、『古今』以後客観的の歌は増加したれど、皆縁語または言語の虚飾を交えて、趣味を深くすることを解せざりしかば、絵画のごとく純客観的なるは極めて少かり。『新古今』は客観的叙述において著《いちじるし》く進歩しこの集の特色を成ししも、以後再び退歩して徳川時代に及ぶ。徳川時代にては俳句まず客観的叙述において空前の進歩をなし、和歌もまたようやくに同じ傾向を現ぜり。されども歌人皆|頑陋《がんろう》褊狭《へんきょう》にして古習を破るあたわず、古人の用い来《きた》りし普通の材料題目の中にてやや変化を試みしのみ。曙覧、徳川時代の最後に出でて、始めて濶眼《かつがん》を開き、なるべく多くの新材料、新題目を取りて歌に入れたる達見は、趣味を千年の昔に求めてこれを目睫《もくしょう》に失したる真淵、景樹を驚かすべく、進取の気ありて進み得ず※[#「走にょう+咨」、第4水準2−89−24]※[#「走にょう+且」、第4水準2−89−22]逡巡《ししょしゅんじゅん》として姑息《こそく》に陥りたる諸平《もろひら》、文雄《ふみお》を圧するに足る。徳川時代の歌人がわずかに客観的趣味を解しながら深くその蘊奥《うんおう》に入るあたわざりしは、第一に「新言語新材料を入るるべからず」という従来の規定を脱却するあたわざりしに因《よ》る。曙覧はまずこの第一の門戸を破りて、歌界改革の一歩を進めたり。
[#地付き]〔『日本』明治三十二年三月三十日〕

 曙覧が客観的|景象《けいしょう》を詠ずるは、新材料を入れたることにおいて、新趣味を捉えしことにおいて、『万葉』より一歩を進めたるとともに、新言語新句法を用いしことにおいて、一般歌人よりは自在に言いこなすことを得たり。
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秋田家《あきのでんか》
[#こ
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