とそれを棺に入れねばなるまい、死人を棺に入れる所は子供の内から度々見ておるがいかにも窮屈そうなもので厭な感じである。窮屈なというのは狭い棺に死体を入れる許りでなく、其死体がゆるがぬように何かでつめるのが厭やなのである。余が故郷などにてはこのつめ物におが屑を用いる。半紙の嚢《ふくろ》を(縦に二つ折りにしたのと、横に二つ折りにしたのと)二通りに拵えてそれにおが屑をつめ、其嚢の上には南無阿弥陀仏などと書く。これはつめ処によって平たい嚢と長い嚢と各必要がある。それで貌の処だけは幾らか斟酌して隙を多く拵えるにした所で、兎に角頭も動かぬようにつめてしまう。つまり死体は土に葬むらるる前に先ずおが屑の嚢の中に葬むらるるのである。十四五年前の事であるが、余は猿楽町の下宿にいた頃に同宿の友達が急病で死んでしまった。東京には其男の親類というものが無いので、我々朋友が集まって葬ってやった事がある。其時にも棺をつめるのに何を用いるかと聞いてみたら、東京では普通に樒《しきみ》の葉なども用いるという事であった。それからそれを買うて来て例の通り紙の袋を拵えてつめて見た所が、つめ物が足りなかった。其処で再び樒の葉を買うて来て、今度は嚢を拵えるのも面倒だというので、其儘で其処らの隙をつめて置いた。棺は寐棺であったが、死人の頬の処に樒の葉が触っているなどというのは、いかにも気の毒に感じた。昔から斯ういう感じがあるので、余は自分を棺につめられる時にどうか窮屈にない様に、つめて貰いたいものだと、其事が頻りに気になってならぬ。西洋では花でつめるという事があるそうだが、これは我々の理想にかのうたような仕方で実によい感じがするのであるが、併し花ではからだ触りが柔かなだけに、つめ物にはならないような気がする。尤《もつとも》棺の幅を非常に狭くして死体は棺で動かぬようにして置けば花でつめるというのは日本のおが屑などと違ってほんの愛嬌に振撒て置くのかも知れん。そうすれば其棺は非常に窮屈な棺で、其窮屈な所が矢張り厭な感じがする。
 スコットランドのバラッドに Sweet William's Ghost というのがある。この歌は、或女の処へ、其女の亭主の幽霊が出て来て、自分は遠方で死だという事を知らすので、其二人の問答の内に、次のような事がある。
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“Is there any room at your 
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