犬
正岡子規
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)閼伽衛奴《あかいぬ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)昔|天竺《てんじく》
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(例)[#地から2字上げ]〔『ホトトギス』第三巻第四号 明治33[#「33」は縦中横]・1・10[#「10」は縦中横]〕
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○長い長い話をつづめていうと、昔|天竺《てんじく》に閼伽衛奴《あかいぬ》国という国があって、そこの王を和奴和奴王というた、この王もこの国の民も非常に犬を愛する風であったがその国に一人の男があって王の愛犬を殺すという騒ぎが起った、その罪でもってこの者は死刑に処せられたばかりでなく、次の世には粟散辺土《ぞくさんへんど》の日本という島の信州という寒い国の犬と生れ変った、ところが信州は山国で肴《さかな》などという者はないので、この犬は姨捨山《うばすてやま》へ往て、山に捨てられたのを喰うて生きて居るというような浅ましい境涯であった、しかるに八十八人目の姨を喰うてしもうた時ふと夕方の一番星の光を見て悟る所があって、犬の分際《ぶんざい》で人間を喰うというのは罪の深い事だと気が付いた、そこで直様《すぐさま》善光寺へ駈《か》けつけて、段々今までの罪を懺悔《ざんげ》した上で、どうか人間に生れたいと願うた、七日七夜、椽の下でお通夜して、今日満願というその夜に、小い阿弥陀《あみだ》様が犬の枕上に立たれて、一念発起の功徳《くどく》に汝が願い叶《かな》え得さすべし、信心|怠《おこた》りなく勤めよ、如是畜生発菩提心、善哉善哉、と仰せられると見て夢はさめた、犬はこのお告《つげ》に力を得て、さらば諸国の霊場を巡礼して、一は、自分が喰い殺したる姨の菩提を弔《とむら》い、一は、人間に生れたいという未来の大願を成就《じょうじゅ》したい、と思うて、処々経めぐりながら終に四国へ渡った、ここには八十八個所の霊場のある処で、一個所参れば一人喰い殺した罪が亡びる、二個所参れば二人喰い殺した罪が亡びるようにと、南無大師遍照金剛と吠《ほ》えながら駈け廻った、八十七個所は落ちなく巡って今一個所という真際《まぎわ》になって気のゆるんだ者か、そのお寺の門前ではたと倒れた、それを如何にも残念と思うた様子で、喘《あえ》ぎ喘ぎ頭を挙げて見ると、目の前に鼻の欠けた地蔵様が立ってござるので、その地蔵様に向いて、未来は必ず人間界に行かれるよう六道の辻へ目じるしの札を立てて下さいませ、この願いが叶いましたら、人間になって後、きっと赤い唐縮緬《とうちりめん》の涎掛《よだれかけ》を上げます、というお願をかけた、すると地蔵様が、汝の願い聞き届ける、大願成就、とおっしゃった、大願成就と聞いて、犬は嬉しくてたまらんので、三度うなってくるくるとまわって死んでしもうた、やがて何処よりともなく八十八羽の鴉《からす》が集まって来て犬の腹ともいわず顔ともいわず喰いに喰う事は実にすさましい有様であったので、通りかかりの旅僧がそれを気の毒に思うて犬の屍《しかばね》を埋めてやった、それを見て地蔵様がいわれるには、八十八羽の鴉は八十八人の姨の怨霊《おんりょう》である、それが復讐《ふくしゅう》に来たのであるから勝手に喰わせて置けば過去の罪が消えて未来の障《さわ》りがなくなるのであった、それを埋めてやったのは慈悲なようであってかえって慈悲でないのであるけれども、これも定業《じょうごう》の尽きぬ故なら仕方がない、これじゃ次の世に人間に生れても、病気と貧乏とで一生|困《くるし》められるばかりで、到底ろくたまな人間になる事は出来まい、とおっしゃった、…………………というような、こんな犬があって、それが生れ変って僕になったのではあるまいか、その証拠には、足が全く立たんので、僅《わずか》に犬のように這い廻って居るのである。[#地から2字上げ]〔『ホトトギス』第三巻第四号 明治33[#「33」は縦中横]・1・10[#「10」は縦中横]〕
底本:「飯待つ間」岩波文庫、岩波書店
1985(昭和60)年3月18日第1刷発行
2001(平成13)年11月7日第10刷発行
底本の親本:「子規全集 第十二巻」講談社
1975(昭和50)年10月刊
初出:「ホトトギス 第三巻第四号」
1900(明治33)年1月10日
※底本では、表題の下に「子規」と記載されています。
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2010年4月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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