句合の月
正岡子規

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)句合《くあわせ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二度|吟《ぎん》じて

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「走にょう+旱」、第4水準2−89−23]
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 句合《くあわせ》の題がまわって来た。先ず一番に月という題がある。凡そ四季の題で月というほど広い漠然とした題はない。花や雪の比でない。今夜は少し熱があるかして苦しいようだから、横に寝て句合の句を作ろうと思うて蒲団《ふとん》を被《かぶ》って験温器を脇に挟《はさ》みながら月の句を考えはじめた。何にしろ相手があるのだから責任が重いように思われて張合があった。判者が外の人であったら、初から、かぐや姫とつれだって月宮に昇るとか、あるいは人も家もなき深山の絶頂に突っ立って、乱れ髪を風に吹かせながら月を眺《なが》めて居たというような、凄《すご》い趣向を考えたかもしれぬが、判者が碧梧桐《へきごとう》というのだから先ず空想を斥《しりぞ》けて、なるべく写実にやろうと考えた。これは特に当てこもうと思う訳ではないが自然と当てこむようになるのだ。
 先ず最初に胸に浮んだ趣向は、月明の夜に森に沿うた小道の、一方は野が開いて居るという処を歩行《ある》いて居る処であった。写実写実と思うて居るのでこんな平凡な場所を描き出したのであろう。けれども景色が余り広いと写実に遠ざかるから今少し狭く細かく写そうと思うて、月が木葉《このは》がくれにちらちらして居る所、即ち作者は森の影を踏んでちらちらする葉隠れの月を右に見ながら、いくら往ても往ても月は葉隠れになったままであって自分の顔をかっと照す事はない、という、こういう趣を考えたが、時間が長過ぎて句にならぬ、そこで急に我家へ帰った。自分の内の庭には椎《しい》の樹《き》があって、それへ月が隠れて葉ごしにちらちらする景色はいつも見て居るから、これにしようと思うて、「葉隠れの月の光や粉砕す」とやって見た、二度|吟《ぎん》じて見るととんでもない句だから、それを見捨てて、再び前の森ぞい小道に立ち戻った。今度は葉隠れをやめて、森の木の影の微風に揺《ゆす》らるる上を踏んで行くという趣向を考えたが、遂《つい》に句にならぬので、とうとう森の中の小道へ這入り込んだ。そうすると杉の枝が天を蔽《おお》うて居るので、月の光は点のように外に漏《も》れぬから、暗い道ではあるが、忽ち杉の木の隙間《すきま》があって畳一枚ほど明るく照って居る。こんな考から「ところどころ月漏る杉の小道かな」とやったが、余り平凡なのに自ら驚いて、三たび森沿い小道に出て来た。此度は田舎祭の帰りのような心持がした。もぶり鮓《ずし》の竹皮包みを手拭《てぬぐい》にてしばりたるがまさに抜け落ちんとするを平気にて提げ、大分酔がまわったという見えで千鳥足おぼつかなく、例の通り木の影を踏んで走行《ある》いて居る。左側を見渡すと限りもなく広い田の稲は黄色に実りて月が明るく照して居るから、静かな中に稲穂が少しばかり揺《ゆ》れて居るのも見えるようだ。いい感じがした。しかし考が広くなって、つかまえ処がないから、句になろうともせぬ。そこで自分に返りて考えて見た。考えて見ると今まで木の影を離れる事が出来ぬので同じ小道を往たり来たりして居る、まるで狐に化《ばか》されたようであったという事が分った。今は思いきって森を離れて水辺に行く事にした。
 海のような広い川の川口に近き処を描き出した。見た事はないが揚子江であろうと思うような処であった。その広い川に小舟が一艘《いっそう》浮いて居る。勿論月夜の景で、波は月に映じてきらきらとして居る。昼のように明るい。それで遠くに居る小舟まで見えるので、さてその小舟が段々遠ざかって終に見えなくなったという事を句にしようと思うたが出来ぬ。しかしまだ小舟はなくならんので、ふわふわと浮いて居る様が見える。天上の舟の如しという趣がある。けれども天上の舟というような理想的の形容は写実には禁物だから外の事を考えたがとかくその感じが離れぬ。やがて「酒載せてただよふ舟の月見かな」と出来た。これが(後で見るとひどい句であるけれど)その時はいくらか句になって居るように思われて、満足はしないが、これに定《き》みょうかとも思うた。実は考えくたびれたのだ。が、思うて見ると、先日の会に月という題があって、考えもしないで「鎌倉や畠の上の月一つ」という句が出来た。素人臭い句ではあるが「酒載せて」の句よりは善いようだ。これほど考えて見ながら運坐《うんざ》の句よりも悪いとは余り残念だからまた考えはじめた。この時験温器を挟んで居る事を思い出したから、出して見たが卅八度しかなかった。
 今度は川の岸の高楼に上った。遥《はるか》に川面《かわも》を見渡すと前岸は模糊として煙のようだ。あるともないとも分らぬ。燈火が一点見える。あれが前岸の家かも知れぬ。汐《しお》は今満ちきりて溢《あふ》るるばかりだ。趣が支那の詩のようになって俳句にならぬ。忽ち一艘の小舟(また小舟が出た)が前岸の蘆花の間より現れて来た。すると宋江《そうこう》が潯陽江《じんようこう》を渡る一段を思い出した。これは去年病中に『水滸伝《すいこでん》』を読んだ時に、望見前面、満目蘆花、一派大江、滔々滾々、正来潯陽江辺、只聴得背後喊叫、火把乱明、吹風胡哨※[#「走にょう+旱」、第4水準2−89−23]将来、という景色が面白いと感じて、こんな景色が俳句になったら面白かろうと思うた事があるので、川の景色の聯想から、只見蘆葦叢中、悄々地、忽然揺出一隻船来、を描き出したのだ。しかしこの趣は去年も句にならなんだのであるから強いては考えなんだ。聯想は段々広がって、舟は中流へ出る、船頭が船歌を歌う。老爺生長在江辺、不愛交遊只愛銭、と歌い出した。昨夜華光来趁我、臨行奪下一金磚、と歌いきって櫓《ろ》を放した。それから船頭が、板刀麺《ばんとうめん》が喰いたいか、※[#「飮のへん+昆」、第4水準2−92−59]飩《こんとん》が喰いたいか、などと分らぬことをいうて宋江を嚇《おど》す処へ行きかけたが、それはいよいよ写実に遠ざかるから全く考を転じて、使の役目でここを渡ることにしようかと思うた。「急ぎの使ひで月夜に江を渡りけり」という事を十七字につづめて見ようと思うて「使ひして使ひして」と頻《しきり》にうなって見たが、何だか出来そうにもないので、復《また》もとの水楼へもどった。
 水楼へはもどったが、まだ『水滸伝』が離れぬ。水楼では宋江が酒を飲んで居る。戴宗《たいそう》も居る。李逵《りき》も居る。こんな処を上品に言おうと思うたが何も出来ぬ。それから宋江が壁に詩を題する処を聯想した。それも句にならぬので、題詩から離別の宴を聯想した。離筵《りえん》となると最早唐人ではなくて、日本人の書生が友達を送る処に変った。剣舞を出しても見たが句にならぬ。とかくする内に「海楼に別れを惜む月夜かな」と出来た。これにしようと、きめても見た。しかし落ちつかぬ。平凡といえば平凡だ。海楼が利かぬと思えば利かぬ。家の内だから月夜に利かぬ者とすれば家の外へ持って行けば善い。「桟橋に別れを惜む月夜かな」と直した。この時は神戸の景色であった。どうも落ちつかぬ。横浜のイギリス埠頭場《ふとうば》へ持って来て、洋行を送る処にして見た。やはり落ちつかぬ。月夜の沖遠く外国船がかかって居る景色をちょっと考えたが、また桟橋にもどった。桟橋の句が落ちつかぬのは余り淡泊過ぎるのだから、今少し彩色を入れたら善かろうと思うて、男と女と桟橋で別《わかれ》を惜む処を考えた。女は男にくっついて立って居る。黙って一語を発せぬ胸の内には言うに言われぬ苦《くるし》みがあるらしい。男も悄然《しょうぜん》として居る。人知れず力を入れて手を握った。直に艀舟《はしけ》に乗った。女は身動きもせず立って居た。こんな聯想が起ったので、「桟橋に別れを惜む夫婦かな」とやったが、月がなかった。今度は故郷の三津を想像して、波打ち際で、別を惜むことにしようと思うたがそれもいえず。遂に「見送るや酔のさめたる舟の月」という句が出来たのである。誠に振わぬ句であるけれど、その代り大疵《たいし》もないように思うて、これに極めた。
 今まで一句を作るにこんなに長く考えた事はなかった。余り考えては善い句は出来まいが、しかしこれがよほど修行になるような心持がする。此後も間《ひま》があったらこういうように考えて見たいと思う。[#地から2字上げ]〔『ホトトギス』第二巻第二号 明治31[#「31」は縦中横]・11[#「11」は縦中横]・10[#「10」は縦中横]〕



底本:「飯待つ間」岩波文庫、岩波書店
   1985(昭和60)年3月18日第1刷発行
   2001(平成13)年11月7日第10刷発行
底本の親本:「子規全集 第十二巻」講談社
   1975(昭和50)年10月刊
初出:「ホトトギス 第二巻第二号」
   1898(明治31)年11月10日
※底本では、表題の下に「子規」と記載されています。
※「此後も間《ひま》があったら」の「間」のみは、底本では「門<月」となっています。
入力:ゆうき
校正:noriko saito
2010年4月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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終わり
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