だから月夜に利かぬ者とすれば家の外へ持って行けば善い。「桟橋に別れを惜む月夜かな」と直した。この時は神戸の景色であった。どうも落ちつかぬ。横浜のイギリス埠頭場《ふとうば》へ持って来て、洋行を送る処にして見た。やはり落ちつかぬ。月夜の沖遠く外国船がかかって居る景色をちょっと考えたが、また桟橋にもどった。桟橋の句が落ちつかぬのは余り淡泊過ぎるのだから、今少し彩色を入れたら善かろうと思うて、男と女と桟橋で別《わかれ》を惜む処を考えた。女は男にくっついて立って居る。黙って一語を発せぬ胸の内には言うに言われぬ苦《くるし》みがあるらしい。男も悄然《しょうぜん》として居る。人知れず力を入れて手を握った。直に艀舟《はしけ》に乗った。女は身動きもせず立って居た。こんな聯想が起ったので、「桟橋に別れを惜む夫婦かな」とやったが、月がなかった。今度は故郷の三津を想像して、波打ち際で、別を惜むことにしようと思うたがそれもいえず。遂に「見送るや酔のさめたる舟の月」という句が出来たのである。誠に振わぬ句であるけれど、その代り大疵《たいし》もないように思うて、これに極めた。
 今まで一句を作るにこんなに長く考えた事は
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