とも門閥を生じたる後は歌も畫も全く腐敗致候。いつの代如何なる技藝にても歌の格畫の格などゝいふやうな格がきまつたら最早進歩致す間敷候。
香川景樹《かがはかげき》は古今貫之崇拜にて見識の低きことは今更申す迄も無之候。俗な歌の多き事も無論に候。併し景樹には善き歌も有之候。自己が崇拜する貫之よりも善き歌多く候。それは景樹が貫之よりえらかつたのかどうかは分らぬ只景樹時代には貫之時代よりも進歩して居る點があるといふ事は相違無ければ從て景樹に貫之よりも善き歌が出來るといふも自然の事と存候。景樹の歌がひどく玉石混淆である處は俳人でいふと蓼太《れうた》に比するが適當と被思《おもはれ》候。蓼太は雅俗巧拙の兩極端を具へた男で其句に兩極端が現れ居候。且滿身の覇氣でもつて世人を籠絡《ろうらく》し全國に夥《おびただ》しき門派の末流をもつて居た處なども善く似て居るかと存候。景樹を學ぶなら善き處を學ばねば甚だしき邪路に陷り可申今の景樹派などゝ申すは景樹の俗な處を學びて景樹よりも下手につらね申候。ちゞれ毛の人が束髮に結びしを善き事と思ひて束髮にいふ人はわざ/\毛をちゞらしたらんが如き趣有之候。こゝの處よく/\濶眼《くわつがん》を開いて御判別可有候。古今上下東西の文學など能く比較して御覽|可被成《なさるべく》くだらぬ歌書許り見て居つては容易に自己の迷を醒まし難く見る所狹ければ自分の※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]車の動くのを知らで隣の※[#「さんずい+氣」、第4水準2−79−6]車が動くやうに覺ゆる者に御座候。不盡。[#地から2字上げ]〔日本附録週報 明治31[#「31」は縦中横]・2・14[#「14」は縦中横]〕
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三たび歌よみに與ふる書
前略。歌よみの如く馬鹿なのんきなものはまたと無之候。歌よみのいふ事を聞き候へば和歌程善き者は他に無き由いつでも誇り申候へども歌よみは歌より外の者は何も知らぬ故に歌が一番善きやうに自惚《うぬぼれ》候次第に有之候。彼等は歌に尤も近き俳句すら少しも解せず十七字でさへあれば川柳も俳句も同じと思ふ程ののんきさ加減なれば、況《ま》して支那の詩を研究するでも無く西洋には詩といふものが有るやら無いやらそれも分らぬ文盲淺學、況して小説や院本も和歌と同じく文學といふ者に屬すと聞かば定めて目を剥《む》いて驚き可申候。斯く申さば讒謗《ざんばう》罵詈
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