《まよい》を醒《さ》ましがたく、見る所狭ければ自分の汽車の動くのを知らで、隣の汽車が動くやうに覚ゆる者に御座候。不尽《ふじん》。
[#地から2字上げ](明治三十一年二月十四日)
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    三《み》たび歌よみに与ふる書


 前略。歌よみの如く馬鹿な、のんきなものは、またと無之候。歌よみのいふ事を聞き候へば和歌ほど善き者は他になき由いつでも誇り申候へども、歌よみは歌より外の者は何も知らぬ故に、歌が一番善きやうに自惚《うぬぼれ》候次第に有之候。彼らは歌に最も近き俳句すら少しも解せず、十七字でさへあれば川柳《せんりゅう》も俳句も同じと思ふほどの、のんきさ加減なれば、まして支那の詩を研究するでもなく、西洋には詩といふものがあるやらないやらそれも分らぬ文盲浅学、まして小説や院本《いんぽん》も、和歌と同じく文学といふ者に属すと聞かば、定めて目を剥《む》いて驚き可申候。かく申さば、讒謗《ざんぼう》罵詈《ばり》礼を知らぬしれ者と思ふ人もあるべけれど、実際なれば致方《いたしかた》無之候。もし生の言が誤れりと思《おぼ》さば、いはゆる歌よみの中よりただの一人にても、俳句を解する人を御指名|可
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