人|抔《など》にかまはず、勝手に歌を詠むが善かるべくと御伝言|可被下《くださるべく》候。明治の漢詩壇が振ひたるは、老人そちのけにして青年の詩人が出たる故に候。俳句の観を改めたるも、月並連《つきなみれん》に構はず思ふ通りを述べたる結果に外ならず候。
縁語を多く用うるは和歌の弊なり、縁語も場合によりては善けれど、普通には縁語、かけ合せなどあれば、それがために歌の趣を損ずる者に候。縦《よ》し言ひおほせたりとて、この種の美は美の中の下等なる者と存候。むやみに縁語を入れたがる歌よみは、むやみに地口《じぐち》駄洒落《だじゃれ》を並べたがる半可通《はんかつう》と同じく、御当人は大得意なれども側《はた》より見れば品の悪き事|夥《おびただ》しく候。縁語に巧《たくみ》を弄《ろう》せんよりは、真率に言ひながしたるがよほど上品に相見え申候。
歌といふといつでも言葉の論が出るには困り候。歌では「ぼたん」とは言はず「ふかみぐさ」と詠むが正当なりとか、この詞《ことば》はかうは言はず、必ずかういふしきたりの者ぞなど言はるる人有之候へども、それは根本において已に愚考と異りをり候。愚考は古人のいふた通りに言はんとする
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