く》にも馬、梅、蝶、菊、文等の語はいと古き代より用ゐ来りたれば、日本語と見|做《な》すべしなどいふ人も可有之《これあるべく》候へど、いと古き代の人は、その頃新しく輸入したる語を用ゐたる者にて、この姑息論者が当時に生れをらば、それをも排斥致し候ひけん。いと笑ふべき撞著《どうちゃく》に御座候。仮に姑息論者に一歩を借《か》して、古き世に使ひし語をのみ用うるとして、もし王朝時代に用ゐし漢語だけにても十分にこれを用ゐなば、なほ和歌の変化すべき余地は多少可有之候。されど歌の詞《ことば》と物語の詞とは自《おのずか》ら別なり、物語などにある詞にて歌には用ゐられぬが多きなど例の歌よみは可申候。何たる笑ふべき事には候ぞや。如何なる詞にても美の意を運ぶに足るべき者は皆歌の詞と可申、これを外にして歌の詞といふ者は無之候。漢語にても洋語にても、文学的に用ゐられなば皆歌の詞と可申候。
[#地から2字上げ](明治三十一年二月二十八日)
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八《や》たび歌よみに与ふる書
悪《あし》き歌の例を前に挙げたれば善き歌の例をここに挙げ可申候。悪き歌といひ善き歌といふも、四つや五つばかりを挙げたりと
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