《きょうく》、喜悦、感慨、希望等に悩まされて従来の病体益※[#二の字点、1−2−22]神経の過敏を致し、日来《ひごろ》睡眠に不足を生じ候次第、愚とも狂とも御笑ひ可被下《くださるべく》候。
 従来の和歌を以て日本文学の基礎とし、城壁と為《な》さんとするは、弓矢|剣槍《けんそう》を以て戦はんとすると同じ事にて、明治時代に行はるべき事にては無之候。今日軍艦を購《あがな》ひ、大砲を購ひ、巨額の金を外国に出すも、畢竟《ひっきょう》日本国を固むるに外ならず、されば僅少《きんしょう》の金額にて購ひ得べき外国の文学思想|抔《など》は、続々輸入して日本文学の城壁を固めたく存候。生は和歌につきても旧思想を破壊して、新思想を注文するの考にて、随《したが》つて用語は雅語、俗語、漢語、洋語必要次第用うるつもりに候。委細後便。
 追て、伊勢の神風、宇佐の神勅云々の語あれども、文学には合理非合理を論ずべき者にては無之、従つて非合理は文学に非ずと申したる事無之候。非合理の事にて文学的には面白き事|不少《すくなからず》候。生の写実と申すは、合理非合理事実非事実の謂《いい》にては無之候。油画師は必ず写生に依り候へども、それで神や妖怪《ようかい》やあられもなき事を面白く画き申候。しかし神や妖怪を画くにも勿論写生に依るものにて、ただありのままを写生すると、一部一部の写生を集めるとの相違に有之、生の写実も同様の事に候。これらは大誤解に候。
[#地から2字上げ](明治三十一年二月二十四日)
[#改ページ]

    七《なな》たび歌よみに与ふる書


 前便に言ひ残し候事今少し申上候。宗匠的俳句と言へば、直ちに俗気を聯想するが如く、和歌といへば、直ちに陳腐を聯想致候が年来の習慣にて、はては和歌といふ字は陳腐といふ意味の字の如く思はれ申候。かく感ずる者和歌社会には無之と存候へど、歌人ならぬ人は大方|箇様《かよう》の感を抱き候やに承り候。をりをりは和歌を誹《そし》る人に向ひて、さて和歌は如何様《いかよう》に改良すべきかと尋ね候へば、その人が首をふつて、いやとよ和歌は腐敗し尽したるに、いかでか改良の手だてあるべき、置きね置きねなど言ひはなし候様は、あたかも名医が匙《さじ》を投げたる死際《しにぎわ》の病人に対するが如き感を持ちをり候者と相見え申候。実にも歌は色青ざめ呼吸絶えんとする病人の如くにも有之候よ。さりながら愚
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