つて専門の歌よみが不注意を責むる者に御座候。箇様に悪口をつき申さば生を弥次馬《やじうま》連と同様に見る人もあるべけれど、生の弥次馬連なるか否かは貴兄は御承知の事と存候。異論の人あらば何人《なんぴと》にても来訪あるやう貴兄より御伝へ被下《くだされ》たく、三日三夜なりともつづけさまに議論|可致《いたすべく》候。熱心の点においては決して普通の歌よみどもには負け不申候。情激し筆走り候まま失礼の語も多かるべく御海容可被下《ごかいようくださるべく》候。拝具。
[#地から2字上げ](明治三十一年二月十八日)
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四《よ》たび歌よみに与ふる書
拝啓。空論ばかりにては傍人に解しがたく、実例につきて評せよとの御言葉|御尤《ごもっとも》と存候。実例と申しても際限もなき事にて、いづれを取りて評すべきやらんと惑《まど》ひ候へども、なるべく名高き者より試み可申候。御思《おんおも》ひあたりの歌ども御知らせ被下《くだされ》たく候。さて人丸《ひとまろ》の歌にかありけん
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もののふの八十氏川《やそうじがわ》の網代木《あじろぎ》にいざよふ波のゆくへ知らずも
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といふがしばしば引きあひに出されるやうに存候。この歌万葉時代に流行せる一気|呵成《かせい》の調にて、少しも野卑なる処はなく、字句もしまりをり候へども、全体の上より見れば上三句は贅物《ぜいぶつ》に属し候。「足引《あしびき》の山鳥の尾の」といふ歌も前置の詞《ことば》多けれど、あれは前置の詞長きために夜の長き様を感ぜられ候。これはまた上三句全く役に立ち不申候。この歌を名所の手本に引くは大たはけに御座候。総じて名所の歌といふはその地の特色なくては叶《かな》はず、この歌の如く意味なき名所の歌は名所の歌になり不申候。しかしこの歌を後世の俗気紛々たる歌に比ぶれば勝ること万々に候。かつこの種の歌は真似すべきにはあらねど、多き中に一首二首あるは面白く候。
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月見れば千々《ちぢ》に物こそ悲しけれ我身一つの秋にはあらねど
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といふ歌は最も人の賞する歌なり。上三句はすらりとして難なけれども、下二句は理窟なり蛇足《だそく》なりと存候。歌は感情を述ぶる者なるに理窟を述ぶるは歌を知らぬ故にや候らん。この歌下二句が理窟なる事は消極的に言ひたるにても知れ可
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