へ摘草《つみくさ》に行くはこよなくうれしき遊びなり。ゲンゲンの花太きたばにこしらえて自ら手に持ちたらんも、何となくめめしく恥かしくてちひさき女の童《わらわ》にやりたるも嬉し。菫《すみれ》は相撲取花といひて、花と花とうち違ひ、それを引ききりて首のもげたるよと笑ふなり。蒲公英《たんぽぽ》などちひさく黄なる花は総て心行かず、ただゲンゲンの花を類《たぐ》ひなき物に思へり。
 花は我が世界にして草花は我が命なり。幼き時より今に至るまで野辺の草花に伴ひたる一種の快感は時としてわれを神ならしめんとする事あり。殊に怪しきは我が故郷の昔の庭園を思ひ出だす時、先づ我が眼に浮ぶ者は、爛※[#「火+曼」、第4水準2−80−1]《らんまん》たる桜にもあらず、妖冶《ようや》たる芍薬《しゃくやく》にもあらず、溜壺に近き一うねの豌豆《えんどう》と、蚕豆《そらまめ》の花咲く景色なり。如何なる故か自ら知らず。もしちひさき神のこの花に宿りてわれをなやましたまふらん、いとおぼつかなし。
[#地から2字上げ]〔『ホトトギス』第二巻第三号 明治31[#「31」は縦中横]・12[#「12」は縦中横]・10[#「10」は縦中横]〕

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