何々ぞ。南受けたる坐敷の庭には百年をも過ぎたらん桜の樹はびこりて庭半ばを掩《おお》ひたり。花|稀《まれ》なる田舎には珍らしき大木なれば弥生《やよい》の盛りには路行く人足をとどめて、かにかくと評しあへるを、われはひそかに聴きていと嬉しく思ひぬ。やからうからうち寄りて花の下に酒もりするもまた栄ある心地す。桜の下に石榴《ざくろ》あり。花石榴とて花はやや大きく八重にして実を結ばず。その下の垣根極めて暗き処に木瓜《ぼけ》一もとあり。一尺ばかりに生ひたれど日あたらねば花少く、ある年は二つ三つ咲く、ある年は咲かず。たまたま咲きたるはいとゆかしかりき。椿《つばき》あり、つつじあり、白丁《はくちょう》あり、サフランあり、黄水仙《きずいせん》あり、手水鉢《ちょうずばち》の下に玉簪花《たまのかんざし》あり、庭の隅に瓦《かわら》のほこらを祭りてゴサン竹の藪あり、その下にはアヤメ、シヤガなど咲きて土常に湿《うるお》へり。書斎の前の蘭は自ら土手より掘り来りて植ゑしもの。厠《かわや》のうしろには山吹《やまぶき》と石蕗《つわぶき》と相向へり。踏石の根にカタバミの咲きたるも心にとまりたり。
 北庭は狭くしてセンツバ(草花の花壇)の形を為す。芍薬《しゃくやく》一本、我庭園中の最も艶《えん》なる者なり。八車《やぐるま》、孔雀草《くじゃくそう》、天竺牡丹《てんじくぼたん》、昼照草《ひでりそう》、丁子草《ちょうじそう》、薄荷《はっか》などあり。総ての花皆うつくしとのみ見し中に孔雀草といふ花のみひとり厭《いと》はしく思ひぬ。
 西は家の裏にして畠なり。家に近く蚕豆《そらまめ》、豌豆《えんどう》など一うね二うね植ゑたるが、その花を見れば心そぞろにうき立ちて楽しさいはん方なし。南瓜《かぼちゃ》の蔓《つる》溜壺にとりつきて大きなる仇花に虻《あぶ》の絶えざるも善し。梨一本梅一本あり。梅は薄紅梅なり。ワキギ、三度豆、ナンキンなどの畠ありて後は竹藪なり。ドクダメ、羽衣草《はごろもそう》の花は花とも思はざりき。
 東は井戸端なり。きたなき泥溝ありて、花シヤウブ、トリカブトは水溜を囲みて咲きたり。桃の若木あり。無花果《いちじく》の下に萱草《かや》の咲きたるは心にとまらず。ここに菊一うねありて、小菊ばかり植う。猿丸とは赤くて花の多くつく菊なり。
 春風あたたかに菜の花に蝶《ちょう》飛ぶ頃、多くのわらはべ男女うちまじりて、南の野
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