や猛火に包まれんとするを見る、の一段に到りて、心臓は忽ち鼓動を高め、悲哀は胸に満ち、主人公の末路を憐《あわれ》むと共に、母の昔話を思ひ出ださざるを得ざりき。しかれどもなほ細かに考ふれば、荒村の丘の上に、高き大きなる建物が火を吐きつつある光景は、いくばくかバイバイ的美を想ひ起さしむる者なきに非ず。
 我家は全焼して僅《わずか》に門を残したるほどなりければ、さなくとも貧しき小侍《こざむらい》の内には我をして美を感ぜしむる者何一つあらざりき。七、八つの頃には人の詩稿に朱もて直しあるを見て朱の色のうつくしさに堪へず、われも早く年とりてああいふ事をしたしと思ひし事もあり、ある友が水盤《すいばん》といふものの桃色なるを持ちしを見てはそのうつくしさにめでて、彼は善き家に生れたるよと幼心に羨《うらや》みし事もありき。こればかり焼け残りたりといふ内裏雛《だいりびな》一対、紙雛《かみびな》一対、見にくく大きなる婢子様《ほうこさま》一つを赤き毛氈《もうせん》の上に飾りて三日を祝ふ時、五色の色紙を短冊《たんざく》に切り、芋の露を硯《すずり》に磨《す》りて庭先に七夕を祭る時、これらは一年の内にてもつとも楽しく嬉しき遊びなりき。いもうとのすなる餅花《もちばな》とて正月には柳の枝に手毬《てまり》つけて飾るなり、それさへもいと嬉しく自ら針を取りて手毬をかがりし事さへあり。昔より女らしき遊びを好みたるなり。ある年東京へ行く某の叔父に歌がるたを頼みけるに疾《と》く送りこされぬ。そのかるた善き品にて、我家には過ぎたりと人皆のいへりしが、そのかるたいたく我が気に入りて年々の正月を待ち兼ねたり。相手なき時は自ら読み自ら取りて楽みとす。曾根好忠の赤き扇は中にもうつくしく感ぜられて今に得忘れず。十二、三の頃友に画を習ふ者あり、羨《うらや》ましくて母に請ひたれど、画など習はずもありなんとて許されず。その友の来るごとに画をかかせて僅《わずか》に慰めたり。
 幼時より客観美に感じやすかりしわれは我家の長物(かるたを除くほか)一として美とすべき者なきを見て心に楽まず、如何にしてわれはかかる貧しき家に生れけんと思ふに、常に他人の身の上の妬《ねた》ましく感ぜられぬ。ひとり造化は富める者に私《わたくし》せず、我家をめぐる百歩ばかりの庭園は雑草雑木四時|芳芬《ほうふん》を吐いて不幸なる貧児を憂鬱《ゆううつ》より救はんとす。花は
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