とを相並べていふ者なればこれも理窟には相成不申候。実朝《さねとも》の「四方《よも》の獣《けだもの》すらだにも」はやや理窟めきて聞ゆる「も」にて「老い行く鷹《たか》の羽ばたきもせず」「あら鷹も君が御鳥屋《みとや》に」の二つはややこれに似たる者に有之候。その理窟めきて聞ゆるは二事二物を相対して言ふ意味ながら、一事一物をのみ現し他を略したるがためにして、例へば獣だに子を思ふといふはまして人は子を思ふといふことを含み、羽ばたきもせずといふはまして飛び去らんともせずといふことを含み、あら鷹もといふはその外の鷹もといふ意を含むが如き者に候。しかしこの獣の歌も鷹の歌も全体理窟づめにしたる歌には無之、悲哀感慨を述べたる者と見て差支《さしつかえ》なかるべく候。(羽ばたきもせずの歌やや理窟めきたるは「ほだしにて」の語あるがためにして「も」の論とは異なり)
歌につきても今まで大体を示すに忙しく細論するの機なく候処、「も」の字の実地論出で候まま「理窟」といふことをここに詳述可致候。心理学者が普通にいふ如く心の働きを智情意の三に分てば、前日来「歌は感情的ならざるべからず」などいひし感情とはこの「情」の一部分に
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